2018.1.14

 2018年になりましたが、新年のベトナムは元日の11日しか休みではありません。大晦日が日曜日なので連休にはなりましたが、2日からは正常な勤務になります。ただ、日本からの問い合わせがないので、原稿を書く時間が取れる幸運にめぐり合いました。ご存知の通りベトナムのお正月は、旧暦のお正月です。今年は2月の中旬になります。ここ数年間は私にとって、1年に一回の帰国の時期になっています。その理由は、まとめて休みが取りやすいことと、その時期に日本でセミナーを開催するように計画を立てているからです。

 さて、そのセミナーに使う資料を時間をかけて作っているのですが、日本とベトナムと世界の歴史を時系列に並べる年表を作りました。そこで気がついたのは、アジアが世界を主導していた時期は古くて長いことです。中東、インド、中国が抜きん出て世界の先進国であったことです。一部エジプトも入りますが、アジアの先進性には驚くことが多いです。歴史上の経過の中では、アンコールワットなどの地域が最も発展した地域になっていたり、シルクロードの沿線の中央アジアが発展していたり、モンゴルが大帝国になったこともありました。今回はその内容には触れませんが、アジアの先進性の名残をこのお正月の機会にたどってみようと思いました。それは東アジア、東南アジアだけで使われている干支という暦に関する考え方です。

 今年は戌年。日本では犬は、「ワン」となくことになっているので、正月番組なんかにはワンがつく駄洒落が使われたことでしょう。ところがそれは日本だけで通用する駄洒落で、他の国では通用しません。ベトナムでは犬の鳴き声は、Gau Gau(ガウガウ)と表します。鶏は、o o o o(オ・オ・ オー)。猫は、Meo Meo(メオメオ)です。皆さんも知っているかと思いますが、英語では犬の鳴き声はBow wow(バウワウ)です。フランスはOuah-ouah(ウアウワ)、ドイツはHaff-haff(ハフハフ)、中国はWu-wu(ウーウー)です。ところ変われば大きな違いがあります。

干支(えと)に話を戻します。干支は年や月日、方角を表すため使われていたものです。すでに中国最古の王朝といわれる殷 (いん)の時代に使われていることが、発掘された出土品の亀甲獣骨にかかれた文字からわかるようです。木星が12年かけて空を一周するので、その位置を表すために12の漢字をはめていったそうです。最初の意味は植物だったと言うのですが、人になじみのある動物に変えたことで、人々に定着したようです。

 日を表す十干(ジッカン)と月を表す十二支をあわせて最小公倍数の60周期を使って表すようになりました。十干とは、甲乙丙丁をはじめとする10文字に、五行思想という自然哲学の考えをもとに組み合わせました。春秋戦国時代に自然の成り立ちを木・火・土・金・水から説明する五行思想が起こりました。四季の変化は五行の推移によって起こると考えられました。木は春の象徴、火は夏の象徴、金は秋の象徴、水は冬の象徴、土は季節の変わり目の象徴です。五行と干支と結びつきました。漢字はもとの十干の文字を使い、読み方は五行思想のものを使っています。五行の中では世界の表と裏を表す陰陽を兄(え)と弟(と)に分けてつかっています。干支の読み方はそこから来ているようです。

 その十干と十二支とのその組み合わせが120種類あります。最初が、甲子と書いて、「きのえね」と呼びます。最後が、葵亥と書いて「みずのとい」といいます。水の弟の亥という意味です。この十干十二支の公約数の60周期を還暦といいます。私も昨年還暦を迎えましたが、従来の人間の人生は60の周期を基本としていたのでしょう。その当時還暦を迎えられる人が人生を全うしたと考えられていたようです。

十干

音読み

訓読み

意味

こう

きのえ

木の兄

おつ

きのと

木の弟

へい

ひのえ

火の兄

てい

ひのと

火の弟

つちのえ

土の兄

つちのと

土の弟

こう

かのえ

金の兄

しん

かのと

金の弟

じん

みずのえ

水の兄

みずのと

水の弟

 十干の甲ですが、五行思想の木と兄に代えて読みます。それが「きのえ」です。十二支の子をあわせて、「きのえね」と読みます。きのえねの年に建てられた野球場が甲子園球場です。1924(大正13)のことです。十干の干の意味は、幹という意味から来ている言葉です。自然の基礎になる五行がそれに当たります。また、十二支の支は木の枝という意味で使われています。十二支にはおなじみの動物が当てられています。11の動物および空想上の動物1つの12種類です。12番目は日本ではイノシシですが、それ以外のところでは豚です。ベトナムはオリジナルが多く、牛は水牛、ウサギは猫、羊はヤギ、イノシシは豚です。

 干支の起源は紀元前1600年~紀元前1046年頃から、日を数えるための十干を使い、月を数えるために十二支が使われました。紀元前403年から紀元前221年頃からは年も表すようになりました。当初は木星が12年をかけて、地球を一周することから12年で区切りをつけていたようです。紀元前95年からは木星に関係なく60年周期で干支を使うようになりました。

日本に入ってきたのは、553年欽明天皇が朝鮮半島の親日の百済から、専門家を呼んで学者に教えたのが始まりといわれております。この時代はどのような時代かというと聖徳太子が現れる少し前です。日本がまだ倭国といわれていた時代で、中国に使いを送り倭国の王として信認を取り付けようとしていた時代です。そのような天皇家という名称が確立される前の豪族とのせめぎあいの時期です。その当時からの国際交流を含めた信仰の対象になったのが、「神が宿る島」です。昨年世界遺産に指定されたので、皆さんも良く知るようになった「沖ノ島」が、その当時からの日本と大陸との交流と信仰の伝説を伝えています。特にその当時は、文字や暦に関する考え方や鉄が入ってきた時代です。ようやく日本がアジアの先進国から学び始めた時期です。古事記や日本書紀が書かれ始める時期です。

 さて、十二支ですが、一日の時間も十二支で区切ります。子の刻から亥の刻までを12に分けます。子の刻は前の日の23時から次の日の1時の2時間です。それ以降を2時間単位で分けています。私は日本の古典落語をベトナムに来てから聞くようになりました。年に一回立川志の輔のベトナムでの公演があるからです。日本では好んで落語を見に行ったことはないのですが、せっかくの日本文化に触れる機会なので参加をするようになりました。ひとりの落語に関心を持つと他の落語も聞きたくなり、ユーチューブで観ることがあります。古典落語では、日本の古来の時刻の呼び方が登場しますから、少しはなじみに感じるようになりました。

 皆さんは、「丑三つ時」と言う言葉を聞いたことがありますよね。怪談で出てくる単語です。子の刻の後ですから、深夜の1時から3時までの時間帯が丑の刻です。その刻を4つに分けた三つ目の時間と言う意味です。今の時間でいうと深夜の2時から230分までを表す言葉です。やはりその時間はお化けが出やすい時間なのですね。今も昔も同じです。また、昼の12時は午(うま)の刻のちょうど真ん中です。だから正午と言う言葉になっています。午前、午後という言葉はここから発生した言葉です。

 十二支の考え方は、基本が12進法です。今の社会は基本10進法ですが、約数は25しかありません。12に関しては、約数が2.3.4.6とあります。その約数と倍数がたくさんあり、区切りをつけるのは便利です。十二進法は社会生活では便利な数字だったのです。人生という尺度で自然を見たときに12が丁度いい数字だったのです。かたや10進法はモノを数えるためには、指の数が10本だったのでそのためには便利でした。

 10進法の表記の方法である1から9までの数字はアラビア数字といいます。しかし、発明されたのはインドです。ではなぜアラビア数字というのかは、アラビア人が近隣諸国との交易を行っていたからです。アラビアンナイトに表された逸話は、その当時アラビア人が交易を盛んに行っていたことがわかります。シンドバットの冒険などの話は、まさにそれを表しています。アラビア人がヨーロッパに広めたために、アラビア数字と言われるようになりました。インドで発明させた10進法の数字は、世界を幅広く動き回る貿易商人アラビア人によって広がりました。アラビアもその当時は発展した地域であったようです。

 ところでこの数字1から9までの文字には、深い根拠があることをベトナムで知りました。ベトナム人の書く数字は、日本人にはない特徴があります。

特に1と7と9は、日本人の書き方とは明らかな違いがあります。1は頭の角度を強調する書き方をします。7は間にチョンが入ります。9は最後の棒を丸めて書きます。私はその意味を始めて知ることになりました。本来のアラビア数字は数字にそれぞれ角がいくつあるかで数字を表していました。ベトナム人の数字の書き方のほうが合理的であることを知りました。日本人は本来の意味を知らずに数字を書いています。

 また、インド人がすごいのは、数字にゼロと言う概念を発見したことです。エジプト数字やローマ数字にはゼロと言う概念がありません。古代のギリシャ人たちは、何もないものを数える必要はないと考えていました。ないものをあるとはいえないのです。ところがインド人の考え方は違っていました。目の前に0個あるとの言い方が、ない事を表していることを発見しました。

ないから無で存在しないではなく、ないことが存在すると解釈することで、ないことを表す記号として、ゼロ(0)をインド人が生み出しました。その発明により、0から9までの数字を組み合わせるだけで、自然数を自由に書けるようになりました。エジプト数字やローマ数字に較べて圧倒的に表記が簡単になりました。

 ところで現代社会では、二進法が利用されています。日常的にはぴんと来ないと思いますが、コンピュータの仕組みは二進法です。01だけを使って、上のくらいに進む数字と言うことになります。2103114100と表します。この考えが都合がいいのは、一つの電気回路について閉じている場合を1、開いている場合を0を決めれば、多くの回路を並べて多くの数を瞬時に表すことができます。物事を究極に単純化すること、すべてをYesNoに分類することで、高速での複雑な計算が可能になったのです。AIのような人工知能の考え方はこのような考えの集積です。

 人類は長い歴史の中で、数字や世界を12に分けること、10に分けること2に分けることが合理的であることを発見し、世界を判断したり分割したりしてきました。12進法は自然の素となるモノと動物で表し、10進法は角度で表し、2進法は電気のONOFFで表します。二進法はもともと古代のアフリカや中国の占いに使われていた考え方だというのですが、数学として確立したのは17世紀の数学者ドイツ人のライプニッツによってです。ただ、12進法と10進法はアジア人が生み出した考え方です。アジア人の抽象力と英知を深く感じることができます。

 私は日本にいたときは感じなかった古典落語への興味や数字の持つ深い意味をベトナムにいることで感じました。それも還暦の年回りにはじめて気がつきました。人間知らないままに過ぎていくことがたくさんあるものです。

12進法、10進法の考え方を見てきましたが、アジアで生まれた考え方が世界の重要な財産になっています。西洋は産業革命以降、世界の先進国になりましたが、それまでは東洋が文明を築いてきたことは誇りにしていいかもしれません。

以上