日本を代表する大手企業の不祥事が連日のように報道されています。一
昨年は東芝の不正会計処理、旭化成建材・三井不動産の耐震偽装、昨年は電
通の過労死問題、最近は神戸製鋼所のデータ改ざん、,三菱自動車の燃費不正、
日産の完成検査の不正、スバルの無資格検査など、日本型経営に警鐘を鳴ら
すかのような問題が噴出しました。不祥事を起こした企業に問題があること
は間違いないのですが、ライバルの位置にある企業のベトナム現地法人社長
にお話を聞いてみると意外な反応がありました。その方によると、日本の検
査基準や品質基準は世界に例を見ないほど厳しく規定されていると言います。
そのため全部日本基準を守ると価格の面では、国際競争力が大きく劣るよう
になっているというのです。そのこともこれらの事件の背景にはあると言う
のです。
積極的な海外展開を進める製造企業の社長と懇親をしたときのお話を思い
出しました。自動車部品の製造をしているベトナム法人の社長なのですが、
「今や、日本の労働生産性は、著しく低くなっている。日本の本社では、決
められない会議を何度も繰り返しているだけで、利益を生んでいるのは海外
の製造現場だけになっている。」と言ったのです。日本に製造現場を持って
いる企業はたくさんありますので、お起きの企業には当てはまらないかとは
思いますが、日本企業が解決すべき問題点を示す部分があるように思いまし
た。
日本企業が西洋の技術を学び、それを改良し、環境基準や品質基準に適合
させてものづくり日本といわれ続けてきました。ところが、その評価に安心
しきっていると、情報ネットワークの変化、AIなどの人工知能の出現、新興
国の成長という社会の転換点において、日本企業が新しい時代の対応が後手
に回っていると感じ始めるこのごろです。そのことを踏まえて今回の話をま
とめました。
日本はインフラ、交通システムなど世界に誇るシステムが整備されていま
す。また、ゴミもないきれいな空間と外国人から高い評価を受けています。
まだまだ先進的な国であることは疑いようがありません。ベトナムは初めて
訪問した日本人には、意外と都会で発展をしていると受け取られますが、ま
だまだ遅れたところの多い国です。都会なのはホーチミン市とハノイだけで
すし、インフラが十分整備されていません。近代的な交通システムも整備さ
れていません。その点でまだまだ日本との開きがあると思います。
ところがITの進展による技術革新により、インターネットを駆使した変化
は、日本よりも速いと感じることがあります。今や、タクシーやバイクタク
シーは、スマホの操作一つで、お迎えの先と行き先を指定して、瞬時に値段
を決めることができます。私なんかは使いこなしていませんが、ベトナム人
の多くは使いこなしています。フェイスブックを使って、物品の販売や求人
などを行うことも増えています。ベトナムの企業は、紙媒体やテレビのCM
ではなくて、フェイスブックやユーチューブが広告宣伝の有効なツールに
なっています。たとえば、日本のテレビ番組に「新婚さんいらっしゃい」と
いう番組があります。ベトナムではこれをベトナム版にした番組が制作され
ています。また、特に若い人に人気なのが、「パンチでデート」です。これ
をベトナム版に作り変えた番組が人気です。TV番組として制作されているの
ですが、若者たちが見るのは、ユーチューブにアップされたものです。再生
回数1万回以上のものがたくさんあります。それに目をつけた広告事業者は、
ユーチュープやフェイスブックを積極的に活用する工夫をしています。もは
や受身のテレビではなく、積極参加型のユーチューブの活用がベトナムでは
主流です。新興国の現状は、道路、建物などのインフラの整備は遅れていま
すが、通信やバーチャルなビジネスに関しては、日本とほとんど変わらない
と思います。使いこなせる人の割合は、日本よりは多いように思います。新
興国が安い人件費を背景に急速に追い上げている中で、日本企業が生き残る
ためには、売上げを伸ばすかコストを下げるかどちらかの成果を上げる必要
があります。その焦りを抱えながら、閉鎖的な狭い世界でしか通用しない方
法で、その場限りの対応をしているように見えます。
問題の一面を表すのが、日本の大手企業は現場から離れ始めていることだ
と思います。海外に生産拠点が移っている中で、日本国内は管理部門が肥大
化しています。管理する側が、現場には関心を持たず、単にデータだけで物
事を判断しているとしたら、日本が築き上げてきた「ものづくり」の精神が
維持されていないのではないでしょうか。現場に係わらない製造業は、もは
や製造業とはいえないのではと思います。製造現場の社員たちは派遣社員で
あったり、請負の社員だったりします。今の経済状況の中で、大企業が内部
留保を増やしている理由の一つが、正社員を抱えない経営によるものである
とも言えます。経営では成功したかもしれませんが、技術の伝承や人づくり
と言う将来資産の形成には成功していません。
日本の大企業は、大企業の正社員、中小企業の正社員、派遣などの非正規
雇用の人たちに分断される中で、大企業の正社員は精神的に居心地の良い世
界の中で選ばれた存在としての優越感に浸っています。これはまさに「井の
中の蛙」ともいえます。大企業であれば、上司に評価されることは大切です。
その環境下で、世間から離れた組織の常識が形成されていきます。企業や組
織として最も大事なことは、消費者に役に立つか、言い換えれば社会に役に
立つかを考えることだと思うのですが、居心地の良い、既得権を甘受できる
環境の中では、自分たち少数の集団の利益だけを求める狭い袋小路に入って
いるのではないでしょうか。それも悪いことだと気がつかないうちにです。
私は海外で中小企業を経営しているのですが、自分で何でもやらないと前
に進めません。お客さんを見つけるために営業活動をすること、売上げを増
やすためにお客さんに案内をしたり視察案内に同行すること、契約書を作成
すること、お客さんに請求書を発行すること、何でもやる必要があります。
ベトナム人スタッフにも任せることは多くありますが、そのことでも最低限
把握している必要があります。ただ、私は何でもやることで、ビジネスの全
体がわかったり、お客様との関係性がわかったり、自分の実務能力が維持さ
れていることを感じます。私はこの年になって、実務があることと、責任が
あることが、幸せにつながると思っています。それこそが生きている根拠で
はないかと思います。
大企業の実務の中では、仕事が細分化され、全体像をつかんでいる人は数
えるほどしかいません。きっと誰かがうまくやってくれるはずだという他者
への依存が強くなります。全体像がわからない場合、何が問題かがわからな
くなります。最近発覚した大企業の不祥事は、担当者が悪いことであるとい
う実感すらなかったのだと思います。組織を守ることだけが目的化してきた
ことが、不祥事の温床であると思います。
そのようなことを考えているうちに、普通の人間が結果的に悪をしでかす
ことにつながった皆さんも良くご存知の歴史上の悲劇にたどり着きました。
2017年1月、突然アメリカでベストセラーになった書籍です。ビジネス書や
エンターテイメントではありません。1951年に発表された「全体主義の起
源」です。作者は1906年にドイツで生まれたユダヤ系の女性ハンナ・アーレ
ントです。ナチスが政権をとってから、フランス、アメリカに亡命した女性
です。題名の通り、19世紀から20世紀にかけてドイツやイタリアで出現した
全体主義について分析をしました。アーレントによれば、全体主義とは専制
や独裁の変種ではなく、野蛮への回帰でもなく、時代の空気の中で新しく出
現した政治体制だといいます。2012年に制作された「ハンナ・アーレン
ト」という映画もあります。日本では東京神田神保町の岩波ホールで公開さ
れました。
フランス革命以降ヨーロッパに誕生した国民国家は、文化的伝統を共有す
る共同体を基盤にしていました。その反面、経済格差、貧富の差が拡大する
階級社会の側面もありました。その中でヨーロッパの金融を仕切っていたユ
ダヤ人は、金融の力を背景に、階級社会からは隔絶されており、対等な国民
の一員として国家に保護されていました。しかし、大衆の格差や経済に対す
る不平不満の高まりとともに、ユダヤ人に不満の矛先が向けられるように
なっていきました。その異分子を排除するメカニズムと絶えざる膨張を求め
るヨーロッパ内での帝国主義思想の中で生み出される「人種主義」の二つの
潮流が結びついて、新しい思想に変わっていきました。その二つの潮流をま
とめる擬似宗教的な世界観を掲げることで、大衆を動員する結果になったの
が全体主義だといいます。特定の異分子を排除することが、民族の一体感を
作り上げ、帝国主義的侵略を進めるための思想的基盤として全体主義が結実
しました。
貧富が拡大する中で、国民国家に不満を懐く大衆は、わかりやすい政治を
求めました。第一次世界大戦後には、階級政党が没落していきました。対立
軸を失った政治は、「共通の敵」を見出して排除することで、貧富に関らず、
同質性や求心性を求める勢力が徐々に力を増していきました。そのとき敵に
選ばれたのがユダヤ人でした。かつては国家財政を支えていたユダヤ人です
が、政治的な地位の低下に伴い、民衆の支持を獲得するための政治的な道具
として利用されたのです。
当時のヨーロッパは二つの勢力に分かれていきました。原材料と市場を求
めて争奪する植民地主義を先行したイギリス、フランスのような国々がその
ひとつです。西洋人は自分たちと容姿が異なる民族を野蛮な民族として決め
付け、「白人至上主義」を確立していきました。一方、植民地争奪戦に乗り
遅れたドイツとロシアは、自国民の優位性を唱える「汎民族主義」(汎用の
ハンです。英語の接頭語Panを漢字にしたようです。Pan-Americanとは全ア
メリカ人です)を展開する中で、大陸帝国主義といわれる思想で、東欧や中
欧の併合を進めていきました。民族的少数者への支配を正当化するために
「民族的ナショナリズム」を生みました。そのときにナチスはドイツ民族の
優秀さを宣伝し、ほかの少数民族を束ねるために反ユダヤ主義を利用しまし
た。両方の帝国主義のどちらも人種差別の思想を基盤にしています。自分た
ちが最も優秀だから支配するのだという考え方です。
第一世界大戦後、国民国家を支えた階級社会も崩壊、階級政党も没落して
いきました。そこに登場してきたのはどこにも所属しない根無し草の「大
衆」です。アーレントは、大衆をこのように評しています。大衆は政治は人
任せで、権利や自由にも受身で自分たちが求めたいことを与えてくれる人た
ちを求めていました。大衆はインフレや失業という不安を抱えていました。
その不安を解消し、自分たちの優越性というプライドを与えてくれる世界観
政党にひきつけられていきました。その世界観を体現する運動が組織されま
した。「民族の歴史的使命」「ワンダーフォーゲル運動」などです。ワン
ダーフォーゲルとは高校や大学の部活などにもありましたが、自国の自然の
よさを発見、体感しようとするアウトドアの運動です。全体主義から切り離
せば、決して問題がある運動ではないので、その後も生き残りました。大衆
の間では、厳しい現実を少しでも忘れることができ、自分たちにとって都合
の良い世界観が、急速に広がっていきました。その世界観には、うそやでっ
ち上げも構造的に組み込まれていました。ナチスは、選挙によって選ばれた
政府です。根無し草となった大衆が、民族の優越性に心酔し、仮想の敵を明
確にすることで、ナチスの政策の同調者になりました。
アーレントの著作に「エルサレムのアイヒマン」という著作もあります。
ナチスがユダヤ人を、何百万人と計画的に組織的に大量虐殺することが、ど
うして可能だったかの論考をしている書籍です。そこに登場するのは、アイ
ヒマンという一人のナチスの官僚です。彼は収容所へのユダヤ人移送の責任
者でした。1960年に逮捕され、エルサレムで裁判にかけられた記録をまとめ
たものです。
アイヒマンは裁判で次のように言いました。「私は自発的に行ったことは
何もありません。私は法律を守り、指示に従っただけです。与えられた任務
を忠実に遂行することを心がけただけです」と。命令を忠実に実行すること
がどうなるのかの思考は停止していました。そのことに罪の意識もありませ
ん。動機も信念も邪推も悪意もなく、思考がまったく停止しているとアーレ
ントは言います。そして、彼が悪人ではなく、与えられた命令を淡々とこな
す陳腐な小役人だったと書きました。自分の行いについてまったく考慮しな
い「無思想性」こそが、その当時のナチスの支持者やアイヒマンの共通の思
考の本質だといいます。アーレントは次のように言っています。「それらの
人たちは、人間の大切な質を放棄しました。思考する能力です。その結果、
モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残
虐行為に走るのです。〝思考の嵐〟がもたらすのは、善悪を区別する能力で
あり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなる
ことです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」。
理解するとは、注意深く直面し抵抗することだといっています。
アーレントは、「誰もがアイヒマンになりうる」という可能性を突きつけ
ました。「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪なのです」とも書かれてい
ます。何も言わなかった一部のユダヤ人たちも、消極的ながらナチスの協力
者であったとも言っています。それらについては、その当時の世論が反発し、
ナチスを擁護する考えだ、ユダヤ人のことをわかっていないと批判しました。
アーレントはたくさんの友人を失いました。友人を失うことに恐れず、知的
な誠実さをもって全体主義の真実を分析しました。世の中では、悪を悪とし
て決めつけることのほうがわかりやすいでしょう。全体主義というのは、外
側にある脅威ではありません。平凡な大衆が全体主義を支えました。数々の
レッテル貼りをして、敵と味方に分断して、自分自身を高揚させるようなわ
かりやすい「世界観」に取り込まれていくのが人間です。その結果、何の罪
意識もなく、最悪の犯罪にお手を染めたのがアイヒマンという普通の人間で
した。
最後に冒頭で取り上げた日本の大企業の不祥事に戻りましょう、自分の考
えとは違うけど、組織の中では『できません』と言えないことがたくさんあ
ります。多くの人は組織の論理に従っているのです。また、わからないこと
があったらすぐにパソコンやスマホで調べられます。正誤、善悪が瞬時に判
断されます。わからないことを蓄えておく時間がないのです。選択肢の与え
られた質問には答えられても、なぜそう思うのか、自分の意見を言うことが
できなくなっています。物の本質や変化に無思考になり、その思考停止こそ
が不祥事を生む温床になるように思います。
日本でも経済格差が広がり、雇用、医療、年金、教育などの社会インフラ
が破壊されようとしているときには、何を信じたらいいのかわからなくなり
ます。不安定な人や不安を抱えて自分でどうしたらいいか判らない人は誰か
に頼ろうとします。しかし、誰かに頼ることよりも自分が実務を持つこと、
自分で考えられる存在になることが、変化の時代の生きる方法だと思います。
ケネディ大統領の就任演説「あなたが国のために何ができるかを問うて欲し
い」という名言があります。自分で考えて、主体的に係わること以外、最終
的に幸せを感じる方法はなさそうです。
以上