少し静かだった北朝鮮問題が、北朝鮮のミサイルの実験再開で、またきな臭い状態になってきました。緊張が高まってくると、偶発的な衝突で何が起こるかがわかりません。そのような深刻な状態の中で、かつてアメリカが参戦したベトナム戦争のことを振り返ってみようと思いました。その時の事情は、社会主義運動・民族解放運動の高揚の中で、資本主義陣営が世界の社会主義化を止めようとする事情がありました。ところが今の国際的な紛争は、従来のイデオロギーの対立ではなくなっています。資本主義の先進国の以前ほど稼ぐ隙間がなくなっている中で、途上国の支援という名目の支配ができなくなっている構図が垣間見えます。

資本主義の成長は、先進国を本拠地に置くグローバル企業が、労働コストの安い新興国や途上国で大量に安い製品を作り、それを先進国で売りさばくことでなりったっている側面があります。資本の蓄積と再投資ができる企業が競争に勝っています。帝国主義の時代は、軍事力や経済力で弱いものを管理することができました。ところが民族解放運動の後、強い国も弱い国も自分たちの権利を主張するようになりました。そのため先進国も以前のような途上国からの収奪もできなくなりました。グローバル化した企業がその役割を果たすようになりました。今の時代は、自分たちの利益を守るために都合の悪い他者を排除することが宿命のようになりつつあります。

 労働賃金が上がるにつれて、その国で作られる商品は、国際競争力が低下していきます。そこでグローバル企業はさらに安い労働力を求めて、別の新しい新興国や途上国で商品を作ろうとします。商品を安く大量生産して、競争力をつけて、経済成長していくことが資本主義の基本的性質です。先進国にとって、安い原材料の供給先や人件費を提供できるところを支配できることが、資本主義の競争に勝つための要因です。ところが成熟した資本主義では、競争に勝つことは敗者を作ることにほかなりません。経済成長が鈍化していることは、パイの奪い合いをもたらします。

 第二次世界大戦以前、ベトナムはフランスの植民地でした。しかし、戦争当初ドイツの快進撃もあり、フランスは降伏し、日本軍がフランス領インドシナに進駐することになりました。しかし、その後日本、ドイツは戦争に敗北したのは承知の通りです。ベトナム北部のホーチミン率いるベトナム独立同盟は、ベトナム民主共和国を樹立し独立しました。ところが結果として戦勝国となったフランスは、南部にコーチシナ共和国という傀儡政権を作りました。その後、フランスと北のベトナムは戦うことになります。この戦いは8年続きましたが、フランスの敗戦で決着しました。ところがそれでベトナム統一とはなりませんでした。当面の措置として19547月ジュネーブ協定により、北緯17度線を境にベトナムは分断されました。南ベトナムはアメリカを後ろ盾にした傀儡政権ゴ・ディン・ディエムが大統領になりました。この背景には、その当時の政治状況が色濃く影響しています。

 ジュネーブ協定では、とりあえず休戦協定を結び、19567月にベトナムの住民による自由な選挙で統一の可否を決定することにしていました。この選挙は国際監視委員会の管理の下で、休戦の2年後の7月実施が約束されました。しかし、朝鮮戦争などを契機に東西冷戦が進むにつれて、米国の考え方はベトナムの統一阻止に傾いていきました。米国は最終宣言への参加を拒否し、南ベトナムの休戦協定にも反対しました。そのためこの協定は拘束力を失ってしまいました。そんな中で北ベトナムに影響を受けた南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)が結成されて、ベトナム国内は内戦状態になっていきました。

 その当時、米国大統領であったケネディは北ベトナムの後ろ盾にソ連がいることから、インドシナ地域の共産化ドミノ倒しを防ぐため北ベトナムの勝利を阻止しようとしました。特殊部隊を派兵するなど徐々に戦争に深入りし始めました。ただこの時点ではまだ南ベトナムを支援する程度の介入でした。米国が本格的に参戦するのは、ジョンソン大統領の時代です。1964年トンキン湾事件からです。トンキン湾事件は、米国が次のように主張しました。「米国の軍艦が北ベトナムの警備艇に攻撃を受け、直ちに反撃のため北ベトナムを爆撃した」と声明を出しました。このことから北爆といわれた北への攻撃が進められました。

 そのトンキン湾事件ですが、後にでっち上げだったことが判りました。4年後、ジョンソン大統領と対立して辞任した国務長官マクナマラはこの事件は米国のでっち上げであることを告白しました。米国にとっては軍事介入の口実が必要だったのです。軍部が独走する戦争の主導権争いでは、そのようなでっち上げやうそが繰り返されます。その後もアメリカにとって泥沼の戦争介入が続きますが、またの機会に触れたいと思います。アメリカがなぜ泥沼に入っていったかも興味あるテーマではあります。ジョン・レノンのクリスマスソング「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」も、ベトナム戦争を題材にした曲でした。ベトナム戦争に反対して、オノヨーコとのベッドインというパフォーマンスもジョン・レノンならではでした。

 国際世論が米国の正義なき戦争に強い批判を与えたのがベトナム戦争でした。それと同時に米国経済を疲弊させました。1971年に突然発表されたニクソン大統領の声明をニクソンショックといいます。その声明は米ドルと金との交換を停止するというのです。それまでは金を担保に米ドルを発行していたはずですが、金ドル交換停止(金とドルとの固定比率での交換停止 )をすると一方的に発表したのです。要するに、米国には金が米ドルの発行額ほどはないということです。米ドルの価値は見せかけだけの価値だったということです。1970年代初頭の米国は、ベトナム戦争などの影響で財政赤字が拡大すると共に、大幅な輸入超過で貿易赤字が大きく膨らんでいました。また、ドルが米国から大量に流出していき、ドル本位制による金とドルとの交換に応じられない状況に陥りつつあり、さらにドルに対する信任も大きく揺らいでいました。

ベトナム戦争とその最中に起こったニクソンショックは、世界経済の構造変化の時期だったのです。1USD=360円との固定相場の時代は終わりました。その中で経済力を成長させていったのが日本です。日本の工業生産力は、その当時の米国に必要でした。ベトナム戦争で大量に消費される物資を供給する側に回った日本は漁夫の利を得たともいえるでしょう。戦争の当事者よりも「死の商人」が儲かるのです。

 ベトナム戦争は、資本主義勢力が途上国の共産化により、資本主義の行き場がなくなることを避ける戦いでした。ただ、社会主義国になったベトナムは、その後経済の資本主義化を進めることになりました。また、1989年にはベルリンの壁が消滅し、東西ドイツが統一しました。1991年にはソビエト連邦が崩壊し、事実上社会主義経済は崩壊しました。その当時は資本主義の勝利といわれましたが、それから30年近くが過ぎて、今問題になっているのは、資本主義の限界ということが巷の学者から発せられるようになりました。経済成長競争をすることが資本主義の宿命であるならば、より安く製造できるところを追及しなければなりません。そこで大量生産し、競争相手に打ち勝つ価格で販売をしていかざるを得ません。そうでないと競争相手が自分たちを飲み込んでしまいます。

 そんな社会の混迷の中で、日本の労働市場はやや明るさを取り戻しているようです。人口の高齢化に伴い人手が不足していることが原因です。ただ、それに逆行する一つのニュースに関心を懐きました。労働市場の売り手市場といわれています。人手不足であるとか、職を選ばなければ、就職先は見つかるというような空気があるように思います。失業者が減って、職を得られる人が増えていることはいいことです。その中で実は不思議なことがおき始めています。

 私が注目したいと思ったことは、大銀行のリストラ策が発表されたことです。これはいったいどういうことなのでしょうか。みずほフィナンシャルグループは、19,000人の人員削減を発表、三菱UFJ9,500人、三井住友が4,000人相当の業務量の削減を検討しているとのニュースが発表されています。ちょうど20年ほど前になりますが、日本でも金融ビックバンといわれる時期がありました。拓銀や山一證券が破綻したり、多くの生保も破綻した時期です。

 そもそもこの金融ビックバンとは何だったのでしょうか。その当時、日本の金融機関は、大蔵省(現財務省)の護送船団方式という言い方をされていました。護送船団とは、最も速度の遅い船舶に合わせて航行するところから、特定の産業において最も体力のない企業が落伍しないよう、監督官庁がその産業全体を管理・指導しながら収益・競争力を確保しようとしたことです。それまでの金融機関は、つぶれないように、つぶれそうになると他の金融機関にたすけ舟を出すように指導されていました。

 ところが先に先進国であった英国、アメリカでは、経済が行き詰り始めていました。そこで金融の自由化を進めていました。特に英国ではその当時のサッチャー首相が、証券取引所の改革を進めました。改革したのは自由化と競争の導入です。固定手数料や出資規制を自由化しました。それによりシティーと呼ばれる金融市場が活性化しました。私から言わせると護送船団が通用しなくなったのは、弱い金融機関を守るほど余裕がない社会になり始めたともいえます。自由化という名目で、実際は弱いものを守ることができない社会になりつつあることを表しています。

 それに遅れること10年、日本でも1996年から橋本内閣により、金融制度改革が始まりました。フリー(自由)、フェア(公正)、グローバル(国際化)をキーワードとした改革でした。金融ビックバンは、規制を緩和して、金融市場の活性化や証券業界の国際化を目指しました。主な柱は次の通りです。第一に外為法の改正です。一般企業や個人でも外貨を自由に取引できるようにしたことです。今ではFX(Foreign Exchange)という金融取引も多くの個人ができるようになっています。第二に、銀行と証券、生保と損保の業務の相互参入を進めることでした。第三が、間接金融から直接金融へお金の流れを返ることでした。それは銀行借入れから、株式や社債の発行による方法に変えることです。個人の貯蓄方法も、預金から、投資信託や株式などの商品に変えることです。その当時以降、証券化や自己責任という言葉が使われるようになりました。自由にして規制を取り外し競争すれば経済は発展するという考え方です。そのことが結果として、勝ち組と負け組みという言葉を生みました。中間層を守ることができない政治のきっかけになりました。

 ここで考えておきたいのは、大学生の就職希望ランキングでは常に上位に付けている押しも押されぬ人気企業で勝ち組だったはずの企業が、リストラを発表する不思議です。また、それも有効求人倍率が47年ぶりの高水準になっている今に発表することの不思議です。私なりに考えると発表する時期が、今がふさわしいと考えられること、また将来の構造変化を予言していることだと思うのです。次の段階の限界競争社会がやってくる前触れとも考えられます。

 メガバンクが現在赤字で苦しんでいるわけではありません。ただし、10年先を見通せば、構造変化は必ずやってくるため、今ショックが少ないこの時期に打って出ようとしていると感じます。その点では、自前で経済研究所を所有できるメガバンクは、誰よりも早く見通しを立てることができるのでしょう。もはや伝統的な商業銀行モデルは、構造不況化しているといいます。では銀行内部でどんな変化が起こっているのでしょうか。20年前の大手都銀各行は、生き残りをかけて三大メガバンクに統合していきました。それから早20年、またまた新しい流れが現れています。

 今銀行業界の中で経営変革の必要に迫られている事情があります。第一が「マイナス金利」の問題です。日銀のマイナス金利政策の長期化や人口減の影響で、国内の銀行業務自体が不況に入りかけているということです。国内銀行の貸出し金利は20161月に較べて2割程度下がっているといいます。メガバンクは国内の収益の落ち込みを海外で稼いでいるといいます。

 第二はAI(人工知能)革命です。AIやフィンテックと呼ばれる金融技術の進歩によって、銀行業務そのものが消滅しつつあるという説です。もはや銀行そのものを経由せずともスマホで決済ができてしまう時代になりました。中国や東南アジアではまさにそんな世界が迫ってきています。

 第三は仮想通貨の広がりです。仮想通貨を簡単に説明するとインターネット上でのみ流通する金融機関を媒介しない通貨ということになります。通貨は中央銀行によって管理されますが、仮想通貨は特定の管理組織はありません。貨幣は発行数量の限度はありませんが、仮想通貨は限度が決まっています。最も有名なのが、ビットコインです。一定期間のデータを塊として記録し、それをチェーンのようにつなげることでネットワーク全体の取引の履歴を保存し、改ざんできないようにして、成り立つ取引の仕組みだそうです。

貨幣の役割が価値の尺度としての機能を表すものであるならば、取引のデータが貨幣に変わって価値の実態を表すことができそうに思います。社会の変化を柔軟に対処できる制度やシステムが置き換わっていくことは社会の必然といえます。銀行の価値は、店舗が一等地にある必要はありません。ATMがあちこちにあればすむ話です。貨幣がなくても、クレジットカードに刷り込まれた情報があればお金を使うことができます。実体経済は貨幣がなくても動いています。

 企業は内部留保を進める中で、銀行が一定の利子をつけて貸し出すことも難しくなりました。大企業こそ成長産業とはいえなくなっています。銀行から見てもおいしい存在ではありません。よそから借りるよりは将来の不安のために自分でためておくのです。少し前から銀行の運用は変わってきました。融資先を見つけられないので、銀行はあまった資金で国債を買ったり、日銀に預けたりして運用をしてきました。それでは市中に資金は回りませんが、すでに時代が民間から資金を集めて、成長産業に貸し出すという銀行のビジネスモデルが成り立たなくなっているのではないでしょうか。銀行は資本主義経済の原動力です。成長分野に血液となる金融の流れができて経済が成長するのです。しかし、もはや成長しなくなった社会では、特殊な場合以外で先行投資の必要性そのものがなくなっているのではないかとも思えます。

 当然メガバンクで起こっていることは地方銀行にとってはもっと深刻であるといえます。もともと構造改革が進まず慢性的な低収益構造に陥っている銀行が、この低金利下でますます稼げなくなっています。特に地方の銀行は人口減少、企業数の減少に直面しています。私はベトナムで多くの地銀の出向者にお会いします。それは地銀といえども地域の有力企業を海外に誘致して、そのための海外投資の資金を融資する新しい稼ぎ方を模索しているからだと思います。

 地銀は日本国内での新しい収益源として、アパートローンやカードローンを拡大させようとしていましたが、空き室率の増加による不良債権化懸念や多重債務者を助長しているとの批判から自粛を余儀なくされています。確かに個人にお金を借りさせる手法は、自己破産者を拡大することになるでしょう。国の金融政策はじわじわと地方の銀行を苦しめています。物価がなかなか上がらない中で、異次元の金融緩和の悪影響が、銀行経営の問題になって跳ね返ってきます。

 ベトナム戦争のころは、資本主義の体制や勢力を守るために米国が参戦した戦争でした。結果、社会主義国家のベトナムが誕生しましたが、経済は資本主義に移行しました。結果的には、米国が勝っても負けてもあまり変わらなかったかもしれません。ところが新しい課題として、先進国の経済成長が止まり始めました。経済成長が止まった社会は、資本主義の限界が近づいています。今でも豊な社会にするための経済成長が必要なのでしょうか。

以前のように中流層が豊になる経済成長が実現できるのでしょうか。

 歴史の過程の上で、経済成長が必要になる瞬間があります。それはすべてを失ったとき、あるいは始まるときです。戦後日本は確かに経済成長が急務でした。それを先人たちは実現しました。そのときは明らかに経済成長が必要でした。しかし今の日本に必要なのは、成長することではなく、失うべきでないものを守ることではないかと思っています。難しいテーマですが、私の中ではかすかに方向性を感じ始めています。

以上