皆さんもご承知のことだと思いますが、天皇・皇后両陛下が228日から35日まで、ベトナムにご滞在されておりました。5日にタイに移動され昨年10月になくなったタイのプミポン前国王への弔問を行い、35日に帰国されました。今回の訪問は、1973年に日本とベトナムの国交が回復してから始めてのベトナム訪問でした。

 私の会社では朝礼をするのですが、火曜、水曜、木曜はベトナム人が日本語でスピーチをしています。天皇皇后両陛下が訪問している最中にも朝礼がありましたが、ベトナム人スタッフは「日本の王様はすごく優しそうな人です」と言っていました。日本人でもそう思いますが、誰が見てもそのように感じるのは、両陛下のお人柄がにじみ出ているからなのでしょう。

 ところで今回の訪問は、ハノイと古都フエの訪問でした。ハノイはいわずと知れた首都ですので、国家主席、首相などがいますから、訪問するのは当然でしょう。実はベトナム最大の都市はホーチミン市で、また所得水準が高いのもホーチミン市です。経済の中心はホーチミン市と言ってもいいでしょう。でも今回はフエの訪問でした。それは、1945年までフエにはグエン王朝があり、それまではフエが首都だったのです。フエでは伝統音楽を楽しまれて、日本との友好親善に携わった関係者との面談も行ったと記事には書かれています。フエ料理といえはベトナムの高級料理(宮廷料理)のことを指します。

 さて、グエン王朝(グエンの発音は、どちらかと言うとゲン、鼻濁音のゲンに近いです。漢字ではこざとへんに元と書きます)は、1802年から1945年まで存在した王朝でした。今ベトナムは社会主義国ですが、戦争前までは日本と同様に王様が支配する国だったのです。グエン朝とインターネットで引くと国旗が日の丸のようにも見えます。今のベトナムの国旗は赤の地に中心に星が一つという社会主義国っぽいものですが、日本の国旗に似たときもあったというのははじめて知りました。

 このグエン王朝の時代は、日本で言えば徳川幕府の改革が必要になり始めた、社会制度に矛盾が出始めてた時期です。寛政の改革、天保の改革などの言葉は聞いたことがあるでしょう。それと外国船が日本にやってくる時期です。ロシアのラスクマンが根室に来たのが1792年ですが、そこから1853年ペリー来航など欧米列強がアジアを植民地化していく時代です。日本では徳川時代末期から、第二次世界大戦の終了までの激動の時期にベトナムを治めていたのが、グエン朝です。ベトナムを治めていたとはいえ、1885年にフランスが清に勝利してからは、清の支配からフランスの支配に変わり。実質的にはフランスの植民地になりました。

 天皇皇后両陛下のベトナム訪問の話題から、近代ベトナムのことをお伝えしましたが、政治体制や社会の仕組みは固定的なものとはいえないと思うことがあります。また、最近の国際社会の動きは、極端な動きが目立ちすぎて、バランスが悪い社会のように感じます。だれかが一人勝ちしても社会はバランスが悪くなるだけではないかと思います。ベトナムは社会主義国であると、日本からやってくる人たちは必ずいいます。社会主義だからやりずらいことがあるという意味でいいます。ところが社会主義と言う概念と今のベトナムは必ずしも一致しないと思います。

 資本主義と社会主義とはいったい何なのかを改めてまとめてみましょう。中学生の社会科の授業程度の知識で伝えます。資本とはお金のことです。その資本を使って、資本を自己増殖していく仕組みです。自己増殖とは言っても自然に増えていくわけではありません。労働力を商品化して剰余労働を剰余価値とすることによって資本の増殖を図る社会システムのことです。資本主義とはその資本(=お金)、言い換えると私有財産を使って、自由な経済活動をしてお金を増やすことを推進する社会です。競争を是認して、勝者がより成功する社会です。勝者に

なるために多くの人が努力するので、ある程度発展する社会であるともいえます。

 ところが資本を出して会社を作っても事業は簡単に継続できるわけではありません。会社を維持していく必要があります。では維持をするとはどういうことでしょうか?支出より収入が多い状態を保つことです。剰余価値を生むための仕組みを作ることです。会社は剰余価値(利益)を得られないと維持することができません。自由な経済活動ですので、ライバルの出現、市場環境の変化、価格の変動、外国為替の変動などさまざまな要因に翻弄されてしまいます。そのため会社は必ず生き残ると言うことはありません。結局のところ、資本主義は資本の増殖ができたものが勝っていきます。負けた企業は市場から退場を余儀なくされるか、あるいは飲み込まれるかのどちらかしかありません。自由な経済活動は、少数の勝ち組だけが強くなってしまうのです。労働者も飲み込まれたもの、能力を低く評価されたものは退場を余儀なくされます。

 社会主義はそれを是正して、負け組みを作らないようにするための社会システムです。私有財産を廃止して、生産手段や財産を共有あるいは共同管理で、計画的に生産し平等に分配することによって、調和の取れた社会を実現しようと言う試みでした。簡単に言うと個人や民間に任せると過剰生産や負け組みを大量に発生させるので、経済活動を社会的に管理しようというのが社会主義です。

 ただこの社会主義の考えは、私有財産を認めないために、給料は平等で一生懸命働いてもサボっても同じ、それならサボったほうがいいとの感情を生みました。また、競争がないので、改善や改革もなく、権力を持った人が固定化していきました。その結果、新陳代謝がとまり、生産力は落ち、社会主義国は一見安定しているように見えながら、その当時の資本主義国との経済格差が大きく離れ始めていました。社会主義国がこぞって、経済の資本主義化を進めるようになっていきました。たとえば中国では,走資派といわれて2度も失脚した鄧小平が、中国の資本主義化を推進しました。有名な言葉が残っています。「白い猫でも、黒い猫でも、ねずみを取ればよい猫だ」という四川省のことわざを用いていった言葉が有名です。白い猫、黒い猫とは、社会主義、資本主義のたとえです。どちらの主義でも冨をもたらす主義はいい考えと言う意味です。

 ところでベトナムに当てはめて考えると、多くの企業、外資企業も含めてですが、私有財産を使って会社を設立しています。自由競争の中で各社は競っています。当然、倒産する企業や撤退する企業もあります。したがって、社会主義経済ではありません。社会主義という意味で意外かもしれませんが、ベトナムは国の力がそれほど大きくはありません。官僚の支配体制が強く社会主義的ですが、力がないとは国に収入ががないことが理由です。なぜかと言うと、国民が税金をあまり払わないからです。言い換えれば取る力がないからです。政府は所得の低い国民から所得税を取っていません。貧しい国民から収奪することは避けようとする、ある面でやさしい政府です。その反対に所得の多い人はどうするかと言うと、現金決済を使い、表に出ない取引をすることで税金支払いを回避します。企業は二重帳簿をして、本当の取引で発生する利益を全部は公表しません。表の公式な取引と表現に出ない裏取引があると言うことです。そのため、国の収入はかなり少ないのがベトナムの実情です。そのため公務員は給料が安いために、賄賂や副業が横行することになります。国の力の源泉は、税の収集能力のことだと思います。ベトナムの国力にとっては、国民に反発の出ない、税収集能力の増強が必要なのだろうと思います。

 極端に言うとベトナムの経済と社会システムは、多くの人たちが影で私有財産を増やそうと努力している社会です。ベトナム人は親や家族、親族を大切にする国民性ですが、それは国よりも家族、親族が信用できるとの気持ちの裏返しでもあります。はじめに経済力はホーチミン市が高いと言いましたが、なぜ高いかというとボートピープルとして、逃げ出した南部のベトナム難民が、海外で成功したお金を親族に還流させているからです。そのような人が多いことを感じます。私はこのようなケースに遭遇します。ベトナム人なのですが、ベトナムのパスポートを持っていない人がいます。その人とはボートピープルで脱出したベトナム人か、その親の子供たちです。日本政府が難民として認定した証明が、唯一パスポート代わりになります。ベトナム人でありながら、ベトナムのパスポートがなく、ベトナムに入国しようとするベトナム人の手続きのお手伝いをする機会がありました。そのような人たちの入国は、今のベトナムではなんら問題はありません。

 ハノイを中心とした北部は公共事業が多いのですが、南部はそのような資本が集まる構図になっています。それに比べると、日本は社会主義的なシステムが機能している国だと思えます。国の力は比較的強く、所得の再分配、社会保険などの制度がほどほどに充実している点からは、社会主義のよい面を取り入れていると言ってもいいと思います。ベトナムも日本を見習いたいと思っているようです。天皇皇后両陛下のベトナム訪問は、ベトナム政府の希望でもありました。国をよい国にしたいと言うのは、利害の計算以外の気持ちから発せられるのでしょうか。ベトナムをよい国にするには、税金を払うことが美徳とする意識を持つことだと私はつくづく思っています。

 ところで国際社会は極端な主張が増えてきているようで心配に感じます。米国大統領のトランプさんは、強い企業が勝つことで、アメリカ人の雇用を取り戻そうとしています。その代わり、低賃金の移民は入国を認めないと言っています。

ただ、より一層の競争の激化は、米国内の負け組み企業の淘汰も進むことを意味しています。また、化石燃料の復活のような政策も打ち出していますが、今は多少よくても、将来に禍根を残すことになりかねません。その点で言えば、「人は何のために生きているのか?」「人生があなたに何を期待しているか?」という視点が足りないように思います。これは先月お話したフランクルの考えから、私が得られた考え方の一部です。

 社会主義は結局、経済発展には寄与しませんでした。資本主義は、社会主義より優れた制度であるかもしれません。資本主義はこの世の春のような状況ですが、巨大マネーの力が、国の力より勝り始めているようなことも起こっています。国は大企業が国際競争に勝つために、大企業の意向を受けて支援し、大企業が守られれば、国は安泰と考えている節があります。それを極端に進めてしまったのが韓国です。そんな韓国は、大きな財閥以外は消えてなくなるか、海外に脱出してしまいました。そのため韓国の学生は、こぞって大企業に就職しようとしますが、簡単に就職はできません。そんな厳しい社会になってしまいました。

 私は最近思うことがあります。バランスを欠いた社会は壊れ始めるのではないかと言うことです。バランスを欠き始めていると思われる変化は、近隣諸国にも感じます。バランスとは私は次の三つの力のバランスのことをさしています。一つは民間の力、言い換えれば、資本(私有財産)の力です。企業の力といってもいいかもしれません。経済成長の活力において、自由競争による活力は欠くことができません。

 二つ目は、国の力です。富の分配の仕組みや生活の安全や将来の国のあり方を作るのは国の力です。国の力が弱いと将来の社会のとって必要なものや今の社会の調整を行うことができないことになります。結果的にその国民が翻弄されて生きていかざるを得ません。その結果、弱肉強食だけの社会になってしまいます。

 第三は、庶民のささやかな幸せを求める力です。言い換えれば地域社会のコミュニティーとか、資本蓄積を念頭に置かない活動や集まりです。地域の祭りなどもそれかもしれません。文化や伝統や人が幸せに生きることを求められる社会のためには必要な力です。ボランティア活動、NPOなどの言葉が近いかもしれません。その三つの力のバランスを欠いた社会は、生きずらい社会なのだと思います。

 企業の活力に依存しすぎる国は、企業の論理を実現するために国が協力を強いられるようになります。個人も企業の論理に巻き込まれ、過労死のような社会問題を生みます。また、国は企業の税収を維持するために、その企業の言いなりの政策を実現するようになります。アメリカはまさにその方向性が強く、日本もその傾向が、多少強くなり始めたのではないでしょうか。逆に、中国やロジアは、国の力を増強する方向に、事態の収束を図っているように思います。日本のような人口減少時代の中では、意外と第三の力が必要になってくるかもしれません。人生の終盤を迎えた人は、「自分は何のために生きているのか?」と問うことがあるでしょう。そのことが、第三の力の増大になるような気がしている昨今です。

以上