2019.9.7

1、なぜ、世界は自国中心主義になり始めているのか?
米国と中国の貿易摩擦や日韓の輸出規制、アメリカの保護貿易や移民の受け入れに対する規制、ヨーロッパの移民排斥の動きや英国のEU離脱など東西冷戦終結後の世界の秩序が大きく変わり始めていることを感じます。日本では労働力不足の中で外国人労働力を頼りにする方向に変わってきていますが、隣国の韓国とは関係悪化がとどまらない気配です。
国際社会で何が起こり始めているのでしょうか?現代のグローバル経済の中で、大幅に所得を伸ばしたのは、先進国の一部の富裕層と経済発展しつつある新興国の高所得層と中間層だけで、先進国の中間層は落ち込んでいます。自由貿易のもとでは、国家と国家同士の所得の再分配は進みましたが、先進国の人と人同士の所得再分配は機能していません。非正規雇用の拡大、外国人労働者の低賃金化により、中間層は外国人労働者との競争に巻き込まれ、低収入に強いられています。
そのメカニズムは、グローバル経済あるいは自由貿易の中で製造業は人件費の安い場所に移動するため新興国の中間層の雇用が進み、仕事が得られる中間層の所得は増えていきます。一方、先進国は非製造業が経済の中心を占めることから、資本を持った人、先端技術を持った人、新しいビジネスを構築できる人以外は、安い労働力との競争にさらされて、没落することになってしまいました。自由なルールに基づく経済秩序が保たれることは、世界共通の利益であり、第二次大戦後は国際連合を中心に、ILO(国際労働機関)、IMF(国際通貨基金)、WHO(世界保健機関)、WTO(世界貿易機関)などの機関が自由競争を前提に、世界の秩序が壊されないように安定的に調整されるようになりました。しかし、自由な競争下では、競争に勝ち拡大できるところと、競争に負けて没落していくところの勝者と敗者の明暗を分けることになります。
2、自国中心主義を増長する現在社会の要因
現在の特徴としてもう一つ考えられるのは情報通信の発達です。以前は新聞、テレビなど専門家の意見を大衆が聞きながら物事も判断する社会でした。ところが情報通信が発達し、SNSなどを使うと名もない個人でも自由に発信ができるようになりました。いい悪いは別として誰でも自分の考えを発信することができるようになりました。自分と同様の考えこそが正しいと錯覚することも多くなりました。自分が正義と思うことの反対は、悪と考える傾向に陥る人もたくさんいます。
怖いのはSNSで人違いであるのにバッシングされるケースも出てきています。簡単な「正義」のレッテルのもとで、自分と考えを異にする人を「悪」にしてしまうことも増えています。最近は極端な主張が一定数の指示を得るようになりました。以前ではほとんど支持されなかったと思われる「NHKから国民を守る党」のように、極端な主張の方が刺激的で注目されるようになりました。歴史的な転換点を考えるときにこの通信の進歩、SNSの普及がいい面以外でも大きな変化の要因になりえると思います。
さらに政治家がそれを利用するようになりました。米国のトランプ大統領は、ツイッター発信を繰り返しています。自由貿易が自国の国民を蝕んでいるような主張をしています。英国をはじめヨーロッパ諸国もそのような傾向があります。その背景にはそれを支持する数多くの国民が存在するからです。支持する人たちの多くは、先進国で没落し始めた人たちです。そこで先進国の政治家たちは、没落している中間層の不満を吸収し支持を得るために、その人たちの望む政策を取ろうとしています。たとえば移民が入ってくるから自分たちの仕事が奪われるとか、安い輸入品はダンピングして不当に市場を奪っているなどの理由をつけて保護貿易を仕掛けています。このような政治の手法をポピュリズムの政治と言います。ポピュリズムが問題なのは、ナショナリズムを生み、自国さえよければいいという考え方を蔓延させて、友好関係にあった相手を敵対するからです。そのような時代の変化を感じる中で、かつての歴史からなぜ世界は戦争を避けれれなかったのか、あえて世界大戦について振り返ってみようと言う衝動にかられました。
3、第一次世界大戦はどうして起こった?
第一次世界大戦のきっかけとして取り上げられるのがサラエボ事件です。サラエボとは都市の名前ですが、現在はボスニア・ヘルツァゴビナの首都です。旧ユーゴスラビアだった時には冬季オリンピックも開催された街です。その当時オーストラリア領のサラエボを訪れていたオーストラリア皇太子(オーストラリア帝位継承者)夫妻が、反オーストリアの結社「黒い手」のセルビア人によって暗殺された事件です。オールトリアがセルビアに宣戦布告し、セルビアの同盟国のロシアが決起したところ、ドイツが対フランス、対ロシアに対するシエリーフェン計画という軍事作戦を実行しました。それによってフランス、イギリスも参戦した戦争が第一次世界大戦です。しかし皇太子の暗殺はきっかけとなっただけであり、その前に戦争に至る兆候がありました。
19世紀になるとヨーロッパ諸国では各国ともに産業が発達したことで生産過剰状態が続きました。それによって物が売れなくなり、世界同時不況に陥り、生産品を自国だけでは売り切れなくなりました。各国はその状況を打開するために植民地支配をする国を増やしていきました。この植民地確保に関する紛争が多くの対立を生みました。戦いの構図はイギリス、フランス、ロシアに対して、ドイツ、イタリア、オーストリアの三国同盟が組む形でした。ドイツ、イタリア、オーストリアは植民地が少ないために周辺諸国を自国の支配下にしようとしたため、小競り合いが発生していました。ギリシャや旧ユーゴスラビア諸国が位置するバルカン半島は「火薬庫」と言われ、紛争が尽きない地域になっていました。その販売市場の奪い合いが戦争のきっかけでした。
日本も日英同盟の関係で参戦したのですが、日本の目的は中華民国での勢力拡大が狙いでした。ドイツの持っていた租借地山東半島の権利を日本が引き受けることが目的でした。日本も海外に植民地を持ちたいとの野望を持っていました。
4、世界大恐慌から第二次世界大戦
第一次世界大戦は1914年から1918年で終結しました。ヨーロッパが主戦場になったことから、米国は軍事物資や工業製品の輸出で大きな利益を得ました。それにより戦後はヨーロッパに代わって米国が世界の工場になりました。そのせいで米国企業の株価が上がったり、車や家を購入する人も増えて好景気になりました。米国ではその好景気が永遠に続くと考える人もいました。
そんな中で戦争が終わりヨーロッパの農業、次いで工業が復興してくると米国の雲行きが怪しくなりました。海外から安いものが入ってくるようになりました。それを避けるために米国は関税を上げる選択をしました。そうなると相手国も高い関税をかけるようになります。次第に米国の輸出は不振になりました。そして1929年10月24日10時25分。ニーヨーク株式市場では、ゼネラルモーターズの株価が80%以上下がり、これを機に売り一色になりました。これが世界大恐慌の始まりです。
第一次世界大戦当時、米国はイギリスとフランスに戦争資金としてお金を貸していました。敗戦国のドイツは高い賠償金を支払う約束をさせられていました。賠償金をイギリスとフランスが貰い、米国に返済することになっていました。この世界恐慌でドイツは賠償金の返済ができなくなり、賠償金が返ってこないイギリスとフランスもピンチになりました。そのような連鎖から好調な米国と貿易をしていたラテンアメリカやアジアも苦境になっていきました。そのように恐慌が全世界に広がっていきました。
その大恐慌の中で米国は修正資本主義を取り入れ、政府の公共事業により国内需要の喚起策であるニューディール政策で何とか乗り切ろうとしました。移民が増えていたアメリカは国内の経済規模が格段と拡大をしていたので、労働供給が増えると経済に好結果をもたらしました。一方イギリスやフランスなど植民地を抱えた国は「ブロック経済」と言って植民地との経済協力網を作り、他国を排除しようとしました。それができないドイツ、イタリアについては、窮乏する国民の支持を得て、個人の自由よりも国家の利益を優先しようとの思想を持つ「ファシズム」に入っていきました。イギリス、フランスに対抗して、ヨーロッパの周辺の国を支配しようとしました。ヨーロッパ全体で小競り合いが発生していました。それが次の大戦にもつながっていくのです。
5、昭和恐慌から満州事変に向かう
一方日本はというと、第一次世界大戦中はヨーロッパが戦争に巻き込まれていたので、米国と同様に好景気でした。ところが大戦中に撤退していたヨーロッパ諸国がアジア市場に復帰すると、大戦景気で増産をしていた日本企業は過剰在庫を抱えることになりました。ものが売れなくなり、企業が赤字を抱えるようになりました。これが昭和恐慌まで続く恐慌の始まりでした。
そのすぐ後に関東大震災による震災恐慌、震災手形の処理を巡る混乱から金融恐慌も発生しました。第一次大戦中は世界各国が軍事支出が増加するため金本位制を維持することができず、金本位制は停止されることになりました。ただこの停止は一時的な措置として大戦後は徐々に金本位制に復帰していきました。ところが戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌と連続する恐慌のさなかにあった日本は、金本位制への復帰ができず、諸外国からプレッシャーをかけられることになります。仕方なく金本位制への復帰をしたところ、円高になり急激なデフレに見舞われました。一層企業経営が厳しくなり、庶民の生活も苦しいものになりました。ちょうどアメリカ発の大恐慌の余波もあり、昭和恐慌に突入していくことになりました。
出口の見えない恐慌に陥った日本ですが、その当時普通選挙が始まり、政党が政治資金が必要になったことを要因として、汚職事件がしばしば発生しました。日本社会は貧困に苦しむ人が増える中で、政党や財閥への不満が高まりました。それを背景に犬飼首相が暗殺された5.15事件が発生したような時代でした。そんな世相の中で軍部が、「大陸進出を行えば、不景気から脱出できる」と説きました。その根拠は、大陸進出には軍事力が必要になるので、軍事産業が盛んになり、失業者を救うことができる、大陸進出で植民地を獲得できて販売網が拡大できる、との理由でした。生活に困窮していた人たちは、その考えを支持するようになります。恐慌からの脱出を図るため、鉄鉱石や石炭を確保するため、中国の日本の権益を守るため大陸に進出を図ることになりました。その結果1931年(昭和6年)満州事変が始まったのです。日本国内の新聞はこれを支持し、国民の多くもこれを支持しました。
6、自由貿易と保護貿易
大戦の話をしましたが、今の世界の状況が大戦の気配があるようなことを言うつもりはありません。ただ、自由貿易と保護貿易のバランスが崩れるとどのようなことが起こるかを想定してみようと思います。
自由貿易・・・輸出入について国が介入や干渉しない貿易です。
保護貿易・・・自国の産業を保護するために国が関与・介入する貿易です。
国が関与・介入する代表的なものに関税があります。自由貿易にするメリットは、自国の経済的な発展や成長が見込めることです。生産者はライバルに負けないように良い商品を作る努力をします。消費者にとっては、商品の選択肢が増えて、いいものを安く買えるようになります。自由競争が進むと力があるものはますます力をつけて、弱い者は力を失っていくことになります。自由競争にはそんな厳しさがあります。
一方で保護貿易は、外国の輸入品を制限したり、高関税をかけて自国の産業を保護したり、自国民の雇用を守るために行うものです。しかし、競争にさらされないために産業は成長せず、国際競争力を持つことができなくなります。今ベトナムでは自由貿易協定(FTA)を積極的に結んでいます。国が伸びようとしている状態では、自由貿易を行い、ますます国が成長することができます。ところが先進国は国全体の富が増えるわけではなく、中産階級が貧しくなっていることから、それらの人を悲痛な声を受けて、保護貿易の考え方になっています。外国と競争せず、弱い産業や弱い人たちを守るために自由貿易に制限をかける政策をとるようになっています。弱い人を守る保護貿易とは競争を避けることです。
7、日韓の問題、米中貿易問題など
日韓の対立が顕著になっています。日本も韓国も自分の主張が正しいと言い張り折れる様子はありません。米国と中国の貿易戦争も、両者とも折れる気配はありません。韓国は現政権を維持するためには、日本バッシングをする以外に方法がない中で、極端な方向に向かっているとしか思えません。日本もまた同様に韓国に譲歩の態度を示すことは世論が許さなくなっているような気もします。日韓の問題はどんな方向に進んで行ってしまうのでしょうか?
私なりに仮説があります。このまま対立を続けることで、まずは韓国の経済的な損害が大きくなるでしょう。日本はそれに比べて軽微とはいえプラスの影響になるとは思えません。仮に韓国が経済的に追い詰められた時には、どこかに助けを求めることになるでしょう。一番考えられるのは、一帯一路政策を続けている中国です。韓国はアメリカ、日本との自由貿易経済圏でいることが得策とは思わなくなるかもしれません。意外性がありますが、韓国が経済に困窮すると北朝鮮が上位に立つこともまったくありえないシナリオではないと思います。
一方で米国も中国と貿易摩擦を抱えています。米国は伸びゆく中国の国家資本主義に強い警戒感を持ってます。その警戒感による牽制球として関税の引き上げを主張しているのです。中国の経済を国家資本主義といったのは、企業と国家が密接に結びついており、国家の成長と中核企業の成長が一心同体だからです。中国の重要な企業は国が出資をして成長をしています。資本主義の米国は企業は民間であり、基本的には介入をしません。ところが中国は国の力で企業を育成しています。その企業の成長が覇権を拡大しようと考える中国にとってプラスになります。一方で保護貿易で自国を守ろうとする米国では、今後国際的な影響力はどちらが強くなるかを考えると不安になります。米国だけに依存する日本の将来は不安になります。
あちこちで起こっている紛争案件は、世界の秩序が変化せざるを得ない方向に来ているからのように思えます。変化の大きな要因は、グローバル経済の拡大が先進国に利益を与えられなくなったことです。もう一つが通信技術の発達で今まで大きな声にならなかった極端な意見が拡がり、「正論」を言えなくなる力を持つことです。かつての戦争の要因と結果を述べてきましたが、戦争に向かうきっかけは順調だった経済がある理由で収縮するが原因です。それぞれの力のある国は保護貿易やブロック経済を仕掛けて、それ以外の国を排除しました。それに伴う紛争がより大きな戦争になりました。戦いの当事者同士は、お互いに消耗戦になり、疲弊してどこかのタイミングで勝者と敗者が生まれます。勝者はまだ救われるかもしれませんが、本当の意味での勝者は「漁夫の利」を得た戦争とは関係ない周辺に存在した伸び始めている国です。
第一次世界大戦において漁夫の利を得たのは米国です。戦後アメリカが国際経済の中心になっていきました。それまではヨーロッパが中心であったのですが、戦場がヨーロッパであったことも理由で、アメリカが漁夫の利を得られたものと思います。第二次世界大戦はヨーロッパとアジアが戦場になりました。戦勝国は米国、英国、フランス、ソ連などになります。ところが漁夫の利を得たのは、英国やフランスなどの植民地だったアジア、アフリカの国々です。たくさんの国が戦後独立を勝ち取ることができました。中国(その当時は中華民国)やソ連も得な立場になりました。その理由は国連の常任理事国は米国、英国、フランス、ロシア、中国の5か国となったことです。そのような歴史の事実から考えて、両国間の感情的な対立が激化した結果、漁夫の利を得た周辺国が台頭することになるのではと思っています。国際秩序が変化する中で、韓国に対する反感だけで物事をとらえるのは危険だと言うことも頭に入れておくべきでしょう。

以上