2018.5.13

 長年ベトナムにいると、たまにベトナムに来る人と感じることが異なることがあります。元気でたくましい国と思いますが、みんながそう思うようになると意外な問題点が隠れてしまう可能性があります。今回は日本から初めてベトナムに来た人たちが感じる率直な感想からは違和感があるかもしれませんが、裏側から見ていくことしましょう。

 多くの日本人が感じるのは、ほぼ次のような言葉に収斂されます。「この国は活気がある国だ。これからも成長するだろう。」と洪水のようなバイクの数と信号が変わったときの怒涛の交通渋滞が、多くの人にその様な印象を植え付けます。確かに大都市には大きなビルが出現し、人々の暮らしも豊かになり始めています。

確かにベトナムは国民の平均年齢が30歳程度と日本より15歳以上も若い国です。さらに若い人たちが、将来は豊になると信じている明るさがあります。たまに日本に帰って路上を歩いたり、交通機関を利用するときの風景とかなり違います。若い人の活力が満ち溢れている様子から、この国は発展するだろうと感じるのは当たり前と言えるでしょう。

 しかしながら、長年ベトナムにいると将来の限界を感じることもあります。永年、ベトナムが経済発展するとは限らないと思う理由があります。一つは人口ピラミットの変化です。20歳以下の人口が急激に減少し始めています。大都市の経済力が強くなると、地方から人口が集中をし始めます。それが結果的に少子化の原因になります。この減少は経済成長する国が避けられないと考えるべきかもしれません。しかし、今回テーマとして考えるのは、別の角度から見た問題点です。誰が政策を決めるのかにかかわる問題です。その根底には、「税」をどこから取るかという深淵の課題があります。

 その課題を考察する前に、ベトナムの経済事情を知っていただくために不動産の事情をお話します。ベトナムの不動産(コンドミニアム)を外国人が購入できるようになりました。この間、日本に住んでいる方々もかなり購入しています。お金を持っている人は多いことを実感します。ただ、一棟のコンドミニアム(マンション)のうち外国人が購入できるのが、30%までと法律で決まっています。実は70%はベトナム人が購入をしているということになります。2LDKタイプの分譲マンションは、平均的な場所で2000万円程度しますが、すぐに売れてしまいます。それほどにベトナム人は購買力があるのです。所有する人は何軒もマンションを購入します。不動産を持てば、それ以降転売でのキャピタルゲイン、賃貸での安定収入が得られます。ベトナムで特定の不動産に人気が集まる理由には、ますます大都市に人口集中することにも要因があるのでしょう。

 私のオフィスがある周辺部はレタントン通りと言って、日本レストランがたくさん立ち並び、日本人の利用が多い地域です。その路地裏では「日本町」というちょうちんが下げられた地域になっています。日本人は西洋人、韓国人、中国人と違って、おとなしく、値引きの要求もしないので、ベトナム人から見たら扱いやすい人種です。多少甘く見られている傾向があります。この地域には、従来と違い専門店が増えてきました。ラーメン店はサッポロラーメン、九州ラーメン、家系ラーメン、味噌ラーメン専門店など特徴のある店が増えてきました。牛丼屋、定食屋、日本そば専門店、名古屋飯専門店もあります。日本人が多くなってくるとそれにあわせて風俗店のようなお店も増えています。お金を稼ぐことができる産業が自然発生するのは必然と言えるでしょう。

 ところで、日本人の利用が増えている地域は、不動産が高騰し始めます。その地域は特に儲かるので、不動産所有者は家賃を上げる画策をします。日本のように借主の権利が守られていませんので、借主にとってはかなりひどい仕打ちをされることがあります。たとえば、契約の更新時期が近づいたときに、値上げができそうもない借主を追い出そうと考えます。そんな時には、事前に借りたい希望者と裏で契約交渉をします。たとえば今の家賃の1.5倍くらいを出すことに合意した人がいた場合、先に契約を結びます。その後で、所有者は今の借主に「次回の更新はできないので退去して欲しい」と伝えます。借主は内装工事代金が回収できていないにもかかわらず退去を余儀なくされます。

 そもそもこの地域はどんな地域かをお話します。ベトナム統一前は南ベトナムの富裕層が持っていた土地です。以前の所有者は、南ベトナムの富裕層です。その富裕層とは、政府関係者や資本主義時代に成功した経済人たちです。結局は対米戦争で北が勝利をしたため、アメリカに頼ていた南の所有者たちは、その土地を捨てて逃げざるを得ませんでした。解放後のサイゴンに入ってきたのは、サイゴン川に近いこともあり、北ベトナムの海軍でした。海軍が占領した土地は、戦争に功労があった軍人に褒章として与えました。そのこともあり、この地域の土地の所有者は北のハノイ出身の人が多いのが特徴です。軍人たちが亡くなった後、その子孫たちが分割しながらも引き続き所有しています。正確に言うと使用権を持っています。

 日本もそうであったように、経済成長が進み始めているベトナムでは、土地神話が根強くあります。不動産を持っていれば儲かると考えています。今のところ概ねそれは当たってきました。しかしながら、不動産神話は必ず崩れることはあると思います。ただ、大都市の中心部だけは持ったもの勝ちであることは間違いないようです。多少のバブル崩壊があったとしてもです。しかし、今回のテーマはバブルかどうかではありません。それは冨の偏在とその固定化の問題です。

 ベトナムの税金は、所得税、法人税、付加価値税(消費税のようなもの)、関税が主な税金です。それ以外に外国契約者税というほかにはない税金もあります。税収を得ることが国家が繁栄する大前提です。この税金は、ベトナムに法人がない企業や居住しない人が、ベトナムでの取引によって得た収入には、海外送金の際に外国契約者税として、海外送金者が代行して支払うルールです。海外送金をする際に金融機関お手数料とは別に税が控除されて送金されることになります。ベトナムにいない人の税はしっかりとる体制ができています。

 ところがベトナムで財産を持っている人たちにとっての税金はきわめて少ないのが現実です。ベトナムの公務員は公式の給料はかなり少ないのですが、副業によって実際の生計は立てています。副業とは聞こえがいい言葉ですが、時にはそれが賄賂とでもいえるような収入もあります。そのような収入は証拠を残さないためにも現金取引で行い、所得税や消費税(ベトナムでは付加価値税)がかからない取引(裏取引)にしています。その上、相続税や固定資産税など財産に関する課税がほとんどないか、あったとしても軽微な税率になっています。所得税に関しては課税最低限度額は月収900万ドン(45000円程度)ですので、一般の労働者は所得税が課税されません。ほとんどのベトナム企業は、黒字が出ていない企業が多く、法人税を支払っていないのが実態です。ベトナムでは税収不足から、公共事業への予算配分ができないケースも多くあります。極端に言ってしまえば、ベトナム政府は自国民からはほとんど税金を取らない、国民にたいして優しい政府です。そのような理由もあり、政治的には安定をしていますが、将来の基盤づくりは日本など先進国のODA頼みが実情です。

 その反動と感じられる事態を時々垣間見ます。それは国の税収不足になると、外資企業の税務調査を行い、経費のうちで損金不参入の判断をされて、追加徴収をされるケースが多くあります。代表的な例では、「赤字企業のボーナス支給は、経費としては認めない」「親会社と子会社の取引において、価格設定に妥当性の根拠がない取引は、子会社の挙げた利益を親会社に移転していると判断する(価格移転税制)」というようなケースです。また、貿易品の通関の際に発生する関税については、HSコードが異なるなどの指摘がされて、高い関税を支払う羽目に陥る輸入者も発生しています。これらの例は、ベトナムの税収不足を海外の企業の収益から何とか埋め合わせようとしているに他なりません。

 一体このような事はどうして起こるのでしょうか。ベトナム戦争後の政治でどのようなことが行われたかを調べようとしたところ、私がベトナムに来て最初にご挨拶させていただいた方の文章をネット上で見つけました。その方とは、日商岩井(現在は双日ベトナム)の現地法人の社長を長年努められ、ホーチミン日本商工会の初期の会長を勤められた伊東淳一さんです。「ベトナムの近代化について」と題された内容ですが、興味深く拝読しました。その文章の中で、伊東さんは1989年に日本で政府要人と食事をした時の会話の内容を書いています。

 政府要人が話したのは、ベトナム近代化における3つの誤りについて話をしています。意外な話が含まれていましたのでここで紹介しましょう。

1、ソ連型の中央計画経済を採用したこと、中央計画経済で成功した国はない。

2、カンボジアに侵攻したこと、これにより西側諸国から経済封鎖を受け、日本

  も含めて経済援助が止まったこと

3、アメリカとの戦争。あの戦争はせいぜい引き分けでとどめておくべきだった。

そんな発言があったと書いてあります。3についてはその様に捉えているベトナム人がいたことに驚かされます。伊東さんは次のように続けます。

「それは日本と逆のことを考えれば分かりやすいことに気がつきました。日本は対米戦争で負けました。もし勝っていたら、「神国日本」「八紘一宇」「神風」といった言葉に集約される旧い価値観で政治・経済は動かされていたでしょう。我々は負けましたからこそ、その様な旧い価値観をものの見事に断ち切ることができました」

「しかし、ベトナムは対米戦争に勝ちました。従って当然のことながら勝者の論理がはばを利かせることになりました。・・・(中略)・・・。社会的には『解放してあげた側の人間(勝ち組)』と『解放していただいた人間(負け組み)』そして国から逃れた越僑(負けた支配者)の三つのグループを生み出し、複雑な社会心理構造を作り上げてしまいました。」ただこの時点では、社会的には『開放してあげた側の人間(勝ち組)』よりも、『解放していただいた人間(負け組)』の方が豊かに暮らしている、いわゆる南北問題は発生して複雑な社会構造にしていることが書かれています。開放した側の人間たちが、これでよかったと思えるような政治を進めざるを得ないベトナム政府のジレンマが存在していました。結果として多少良くなっても、その財産に課税するだけの勇気は為政者にはないでしょう。為政者自体がその恩恵を受けていることもあると思います。

 その対極として考えるのが、明治維新です。旧来のものを如何に変えることができるかは、変える立場にある人がどのような人であるかに影響を受けるのです。その点では明治維新の中心になったのは2030代の下級武士や公家の人たちであったことも変化に好影響を与えたものと思います。奇跡の大改革を可能にしたのだと考えられます。明治政府が行った政策を挙げてみると次のものがあります。そのどれもが国の根幹に関るかなり思い切った改革であることがわかります。

・廃藩置県

・廃刀令、断髪令

・地租改正

・四民平等

・徴兵規則

・学制の導入

この中で一番変えやすいように思われる「廃刀令、断髪令」を取り上げてみたいと思います。変えやすいように思えますが、武士の精神的支柱である刀とちょんまげを廃止することには大変な抵抗があったようです。最初のころは明治天皇もちょんまげを結っていました。ちょんまげに関して有名なのは岩倉使節団での出来事です。岩倉使節団とは、岩倉具視を正使とするアメリカ、ヨーロッパに110ヶ月ほど滞在した使節団のことです。木戸孝允(桂小五郎)、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳などの著名人が明治新政府が欧米に学ぶために、あるいは不平等条約の改正のために派遣した使節団でした。その使節団の写真は歴史上有名な写真です。歴史の教科書などで見た方はいるでしょう。出発当初は、岩倉具視はちょんまげをしており、和装をしています。ちょんまげには帽子の様な布に覆われて隠している写真もあります。ところが帰国時には断髪し、洋装になっていました。その間に何があったのでしょうか?有名な話ですのでご紹介します。

「半髪頭(ちょんまげ)をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭(長髪)をたたいてみれば、王政復古の音がする。ざんぎり頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」 そんな俗謡がありますが、ざんぎり頭からのところは聞いたことがありますよね。これは時代を変えるために木戸孝允が新聞を使って宣伝をしたらしいです。ところが岩倉具視は異を唱えました。ちょんまげは日本人の心、源平の当時から700年も続いている日本の伝統を捨てる決断はつきませんでした。

そのころ西洋列強はアジアを植民地にしていました。アヘン戦争で半植民地化された中国ですが、西洋人はアジアの人種は未開の人種と思っていました。高度な文明はアジアにはなく、対等とは思っていませんでした。特に弁髪については、未開国の奇妙な風習と認識されていました。同様なことが、海外に出た岩倉使節団にも起こりました。アメリカで不平等条約を改正しようと努力した使節団ですが、行程の途上歓迎されていると思ったようですが、未開の洋々の風習としてものめずらしく見世物として嘲笑されていただけだったのです。

深く交渉が必要な段階になると、「頭にピストルを載せた野蛮人とは交渉できない」とか、ヨーロッパでは「豚のしっぽ」と言われ、陰口をたたかれていたようです。その様なわけで、この使節団の訪問時には、未開の国と見られており、対等な交渉ができる相手国とはみなされていませんでした。その象徴がちょんまげであることを知り、岩倉は相当恥ずかしかったらしく、日本に連絡して断髪令を出させたそうです。宮中でも天皇がちょんまげを切ることに女官たちは反抗していました。宮中改革が天皇を中心とした新しい国家建設につながると信じていた新政府は、女官たちを解雇して、天皇が断髪できる環境を整えました。明治天皇も率先して断髪をしたことで、民衆に断髪が拡がっていきました。

明治維新が大きな変化を生み出した背景には、主導権をとった人物が下級武士であったことが大きな要因だったように思います。また、司馬遼太郎が言うのは、武士道の精神が根付いている特権階級ではない下級武士たちが先頭に立ち、武士道の根幹に流れる「公の思想」をもっていたことが、近代国家を建設する重要な要因になったと言います。経済発展をするベトナムですが、たまたま勝者が生まれ、勝者にとって都合が良い政策を行うことは、社会の変化を拒むことになる可能性があります。

その点で言えば、税の徴収の問題は国にとって最重要の問題です。冨の固定化を生み出し、階級の固定化が進むとしたら、環境変化の激しい世界では、足枷の要因になるのではと思います。時代とともに優良企業もまた変化します。今は重化学工業の時代からインターネット・通信の時代です。不況に苦しんでいたアメリカが変化をものにすることができました。たまたま変化せざるを得ない不幸が、結果として幸運をもたらすことがあると感じることがあります。日本で言えば世界に類を見ない高齢化社会の到来のための税収不足をどうやって解決するかが問題です。税を払うことは当然だと思うことは、日本人はあっても、ベトナム人はあるようには見えません。発展はいつになるのかが分かりませんが、公共にために尽くすと言う社会の意識が、今後に生きてくるのではと思います。税は自分のためだけではなく、将来のための投資であることも含めて、国民のものの考え方に変化を与える事情は、何が正しいのかを考えさせる材料になるでしょう。

以上