2018.12.08

「入管難民法改正案」が成立したら、今後日本が変わる可能性があることと問題点について前回の放送で触れました。「母国に帰って国の発展に寄与できる技術を日本で学ぶ」という建て付けのこの制度は、日本の労働力を確保する名目ではありません。しかし、日本の底辺の労働力を支えているのは、この実習生と外国人留学生です。両者とも勉強に来ているという建付けです。労働力不足が恒久化する中で、今回法改正は特定技能を持った人を長く労働者として滞在させようとする法案です。前回述べたように問題は山積しているのですが、今回は別の法案の話をします。

 これらは今国会で審議されていますが、放送のころにか可決しているかもしれません。皆さんの関心が薄い法案かもしれませんが、もう一つの法改正案が私としてはとうとうここまで来たかと思わずにいられないものです。その法案とは「水道法改正案」です。経営の厳しい公共水道事業の基盤強化を目的に広域連携や官民推進を民間への運営権売却も可能にする法案です。

 反対する野党からは、「将来の安定的な水の供給に不安がある」「将来の水道料金の高騰に歯止めがかからなくなる」「民間企業の水道事業の独占は、公共の利益に相反する」などの意見が出されています。野党の批判はある面当然の批判とは思います。しかしながら、日本の将来がそこまで大変になっている現実に目をふさぐことはできないと思いました。問題がある法案ですが、提起せざるを得ない局面でもあるということです。

 ところでベトナムの水道は、都市部ではどこでも普及しています。しかし、飲料水としては使いません。洗濯、食器洗い、シャワーなどには使いますが、飲料水としては使うことは、ベトナム人、外国人ともにありません。なぜ飲料水として使わないかの理由を聞いたことがあります。主な理由は水道の配管が古く、老朽化しているために汚染物がしみこんだり、付着物が溶け出したりするため飲料水に適さないとのことでした。水の浄化の問題ではなく老朽化した設備の問題だったのです。確かに配管を交換する作業は、お金がかかるのです。

 同じことが今後の日本でも起こり始めていることに衝撃を受けました。水道の配管を交換するためのインフラ投資を地方自治体が行う余裕がなくなっていることを表しているのです。日本人は安全と水はただ同然と思って暮らしていると言われますが、諸外国では安全も水もただではない地域がほとんどです。その点、日本は恵まれていたのだと思いますが、時代とともに普通の国になっていくと言うことでしょうか?普通の国のように安全も水もただではなくなりつつあるということでしょうか?悪い意味での日本のグローバル化が進んでいるようです。

 水道法改正の趣旨として、「人口減少に伴う水の需要の減少、水道施設の老朽化、深刻化する人材不足等の水道の直面する課題に対し、水道基盤の強化を図るため、所要の措置を講ずる。」としています。施設の老朽化だけでなく、水道事業の人材難ということも言っています。事業として成り立たなくなっているので、民間に運営権を売却するということです。ただ、考えてみると水需要の少ない、また設備投資のかかる人口の少ない地域(田舎)では、民間が参入できるとは思えません。民間が参入できるのは、人口が多い大都市部と考えても良いでしょう。その政策から浮かび上がる日本の未来は、限界集落化している地域が居住できないような地域になろうとしているとのことではないでしょうか。今年の夏の豪雨災害のような大規模災害をきっかけに、人口の少ない地域の道路や生活インフラが破壊されたときに、もう復旧工事はできなくなるかもしれません。

 私が生まれて、中学生まで住んでいた長野県木曽郡の山村では、地域の水道を簡易水道でまかなっていた時期がありました。私の小学生のころまでそうであったと記憶しています。簡易水道の貯水槽の清掃を地域の人たちがボランティアでやっていました。「いすぎ=ゆすぎ」と、その作業のことが言われていました。漢字で書くと「濯ぐ」から来ているのだと思います。その後、簡易水道は廃止され、町内の水道と合体しました。今で言えば限界集落となりつつある故郷ですが、簡易水道を経験したのは貴重な経験でした。その当時、都会から来た親戚の人たちは、その水がおいしいといつも言っていました。それもそのはずで山の湧き水をためて、各家庭に送っていたものなのでミネラルの味がしたのでしょう。もちろん水道料金などありませんでした。もとのようにみんながボランティアでできればいいのですが、もはや老人しかいなくなっています。水道事業が地方自治体が出来なくなると、田舎では民間も参入しないでしょうから、人が住めない集落になるということはあり得ると思います。

 同様に今国会で審議されているのが、「漁業法」の改正です。70年ぶりの改正になりますが、この改正案は漁業権制度を見直し、企業の参入を促し、漁業を成長産業化につなげようとする考えに基づく改正案です。今まで養殖など沿岸漁業を営むのに与えていた権利ですが、漁業権の優先順位を廃止して、民間企業の参入を認めようという法律です。この分野でも労働力が不足して、後継者もいない現状が想定できますが、ますます個人や中小企業が淘汰され、大企業が漁業も仕切っていくと考えられる法案です。すべてにおいて民間企業が発展することが国が発展するという考えに基づく考えです。

 これらの法改正が矢継ぎ早に起こっていることは、必ずしも政府が悪法を通すことに躍起になっているわけではありません。時代が変わってしまったことを強く感じます。どんな方向で変えていくかによって、社会は大きく変わると思います。政府はデフレからの脱却と言い続けています。そして金融緩和によって銀行にお金を供給して、融資を拡大させることによって、消費を拡大させようとしています。結局はお金を大量に発行しても、有効にお金が使われなくなっています。

 日本の経済は、投資や融資する先がない状態です。企業も個人も新たな事業をして儲けようと自信を持っているものが少なく、反面将来不安が強いため今は消費や投資を控えようとしているのが今の日本です。ゼロ金利に近い日本経済は、利子の源泉である利潤が得られなくなり、投資が起きなくなった状態ともいえます。金余りではあるので、唯一大都市部の不動産だけが高騰していることは健全とはいえないでしょう。

 一方で経済発展を始めたベトナムのような国では資本主義の経済成長のサイクルが回転しています。投資が成長を生んでいます。皮肉ですがベトナムは社会主義共和国です。それに対して、日本では資本主義の経済成長のサイクルが機能しなくなっています。先進国では資本主義の限界といわれることが起こり始めています。この傾向もますます加速していくでしょう。人口減少でデフレからの脱却は出来ません。デフレの進行と経済の縮小が今後続いていくことになります。学生時代に多少経済学を勉強した立場から考えてみると、今の経済はおかしなことが起こり始めています。ベトナムのようにアジアの新興国は資本主義的成長を謳歌しているように見えます。しかし、ヨーロッパやアメリカは移民排斥や保護主義という本来の資本主義の思想から乖離し始めています。ベトナムのように伸び始めた国は、いい展開が可能なのですが、新興国になりえない国は、他の国への居住を求めて難民が増えている実情があります。

 資本主義は好況と不況が一定の循環で起こります。それを景気循環といいます。簡単に説明すると好況の時には生産が増加します。しかし在庫が増えてくると生産を縮小します。企業は在庫が少なくなるまで生産を縮小します。この時期が不況です。そのうちに在庫が縮小し、生産を増加させる時期がやってきます。生産を増加させることで、徐々に景気が上向いていくというのが、資本主義の景気循環論です。その論理がこれからの日本で可能でしょうか?大手企業はそうできるかもしれませんが、中小はますます減産せざるを得なくなります。こうなると景気循環ではなく衰退に向かっているだけといえるでしょう。今の日本経済は単純な景気循環では考えられなくなっています。

 特に変化が激しいのは日本だけではありません。世の中の変化は、世界のリーダーであるアメリカにあらわれています。アメリカのトランプ経済は、資本主義経済学の範疇を超えていると思えることがあります。逆説的ですが、トランプの手法はある意味で革命的な手法かもしれません。若干皮肉を込めてこのような言い回しをするには理由があります。

 以前のアメリカは、大恐慌後の景気が悪くなったときには、新しい経済政策を実行しました。財政出動をして、雇用を確保しようとしました。その財政出動により公共事業を起こし、国の力で経済を活性化させることで景気の循環が軌道に乗り始めます。その政策の代表が、ニューディール政策です。テネシー川などに大型のダムを作って雇用を起こしました。このような経済政策は、修正資本主義といわれ、ケインズという経済学者が提唱したものです。資本主義経済の欠陥ともいえる景気後退期には国が景気を引き上げるために財政出動して景気を回復させることで、それ以降国の税収も確保できるという考え方です。これを大きな政府による政策といいます。社会保障を充実して中間層を育てながら経済成長を促す、比較的リベラルな政党が訴える政策です。アメリカでは民主党が主に提唱していました。

 もう一方は新自由主義経済です。政府の介入を最低限にし規制を緩和し、自由競争を促進しようと言う政策です。この政策は、大きな政府に対して、小さい政府と言います。減税をし、民間が自由な発想で新しい産業も生み出し、経済成長が図られるという考えです。イギリスのサッチャー首相やレーガン大統領の政策がそれにあたります。日本でも企業活動も民間に移行すべきだということで、国鉄や電電公社が民営化されたのはこの考え方がベースにあります。

トランプ大統領が言っていることは、共和党出身の大統領でもあるので、規制緩和、減税(所得税も法人税も)、経済の自由化を推進する新自由主義の経済政策と思われます。しかし、自由競争の阻止、保護貿易化、メキシコに壁を作るなど大規模公共投資を予感させる言動など、大きな政府による力ずくの経済政策にも見えます。相対立するケインズ主義と新自由主義を両方取り入れているともみえる経済政策です。両方を取り入れるのはいいことばかりではありません。その負の部分も取り入れることになります。一番わかりやすいのは、減税をしておきながら、財政出動するというやり方です。必ず財政赤字になります。だから、貿易赤字にならないために保護貿易をしようとしている面があります。貿易赤字をなくすためには、ほかの国が赤字になっても構わないという考え方です。

 直近の歴史が参考になります。新自由主義の経済といえば、レーガン大統領の時代に米国です。その当時も減税と財政出動をしました。その結果、双子の赤字と呼ばれた財政赤字と貿易赤字になりました。それを解決するためG5(先進国蔵相会議)が行われました。この時の5か国はアメリカ、イギリス、フランス、日本と西ドイツです。そこでの合意をプラザ合意といいます。強いドルから弱いドルに修正して、アメリカの貿易赤字を減らそうとしました。そのために為替を急激に変動させることになりました。1985年には$1≒240円程度であったのですが、1987年には$1≒120円程度までに急激に円高になりました。当然、日本から輸出する製品は高くなりますから、日本の製造業は円高不況に陥りました。その対策として、日本銀行は金融緩和を行い、不況を回避しようとしました。その結果、日本では空前の財テクブームになりました。そして1989年バブルが崩壊して失われた10年~20年といわれる時代になっていきました。極端な政策には必ず反動があります。

 アメリカが資本主義経済学の概念を超えたことをしていることを伝えました。資本主義とは競争に勝ったものが、より一層収益を得ることができる仕組みであると考えると、アメリカ第一主義は資本主義競争の帰結かもしれません。ただそのような競争は、ごく一部の成功者と大半の失敗者を生む構図を作ります。国は自国の利益を追求しますが、企業は自社の利益を追求します。ライバルとの競争にしのぎを削っていますが、勝ち目がないと判断されるとM&Aで吸収されるということもしばしばあります。日本企業でも海外の企業に買収されると外国企業になります。カルロス・ゴーン逮捕にまつわるルノーと日産の駆け引きは、企業の国籍の危うさを感じさせます。現在の資本主義は勝つか負けるかが鮮明になりつつあります。少数の勝者も明日は敗者になるかもしれません。

 ところで進化の歴史の中で、サルから人に進化したのは脳が発達したからです。脳の発達は如何にして獲得したかというと、アフリカの大地の環境変化の中で、助け合って暮らすしか方法のない弱者が、道具を使うようになったり、言葉を使って共同作業をすることでしか生き残れなかったからです。人との関わりが人間の脳を形成したのですが、今の社会は人の分断、国の分断が止められない状況になっています。かつてのように、お互いが助け合って暮らすことができる社会を構築することはできるのでしょうか。日本でも人間が生きていくために田んぼに水を引き、住んでいる人たちが協力して生きていた時代には戻ることはないのでしょうか。

 将来水道がなくなる地域が増えた時に、その地域の開発ができるのは巨大な資本を持った企業しかできません。また、沿岸の漁業権を企業が買い占めることだってあり得ます。その企業でさえもグローバル競争の中で、どこの国の企業かわからなくなり始めています。資本の論理でM&Aはますます進みます。今回の水道法改正案を読みながら私はあることを妄想しました。日本人が住まなくなった土地を外国資本が買収して、その水源を独占して、海外に高く輸出することもないとは言えないだろうということです。これからの時代がどんな方向に進むのか、予想もつかないことが起こる可能性を感じ始めています。

以上