2018.10.06 

 「日本はなぜパワハラが横行するのか?それは本来日本人の精神構造に影響を与えていた「武士道」の精神から乖離しているのでは?第二次世界大戦などの戦争の影響が影を落としているのでは?」というFM桐生のパーソナリティー小林隆子さんが、先月の放送終了時の会話で問いかけた内容を重く受け止めました。いつか機会があったら、そのことを話して欲しいと大変重いテーマへの取り組みを期待されました。さすがにこのテーマを責任持ってお話できるほどの含蓄や見識はありません。ただ、私なりに多少は考えてみることもありかと思いました。

 島国日本で生きていく為には、小さな集団で価値観を共有すること、限られた水や資源をお互いに譲り合って共同利用することが必要だったものと思います。陸続きの国が他国とさまざまな関りを持って、生きていくのとはかなり違っています。陸続きの国は相手の力が弱まったときには、相手を自分たちより下にすることで、自分たちの利益を得ることが出来ます。しかし、国が分裂したり弱体すると、逆に支配されるきっかけを作ります。そんな支配する、あるいはされる環境が身近にありました。まさにベトナムとはそんな国です。そのような国の人たちと日本人の感性は相当違ってくるもは当然でしょう。

 「付和雷同」という言葉がありますが、「意味としては一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること」と辞書には出ています。島国日本ではそのような生き方がうまくいきやすかったのではないかと思います。私のいるベトナムでは、付和雷同のような姿はあまり見えません。自分の気持ちをストレートに出す人が多いです。阿吽の呼吸などほとんどありません。ベトナム人と事業をするときに、日本人はそんなこと当然分かっているだろうと思うことでも、口に出さなければ伝わりません。ところが狭い人間関係では、説明しなければならない人は面倒な人になります。自然に付和雷同しない人を理解しようとしない、あるいは排除しようとする習性が日本人には備わってしまったのかもしれません。

 ベトナムにいると日本と違った人間行動の風景を垣間見ます。特に道路では、クラクションがなり続けています。日本ではクラクションの音が、「おい、邪魔だ」という意味を持っているのしょう。ベトナムでは、「後ろにいるから気をつけなさい」という意味を持っているように感じます。クラクションの音は変わりませんが、伝えたい意味が違います。そのためにベトナムでは、クラクションでけんかになることはありません。

 最近は1年に一度くらいしか日本に帰らないので、日本がかなり変わっていることに気がつくことがあります。たとえば終電の満員電車に乗ったときに感じるのは異様な静かさです。誰一人声を発しません。一瞬ですが、ここは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」かと思うほどです。ベトナムでは乗り物に限らず、エレベーター内でも大声で会話をしています。そのときには人に迷惑だとは考えていません。日本人はまずそんなときに会話をしませんが、暗黙のルールがあるようです。

 ベトナム人の行動に関しては、ベトナムナビという日系企業がまとめた記事が参考になります。また、違いがはっきりしていて面白いです。「在住者に訊いたベトナム人と日本人の10個の違い」という記事ですが、ここで紹介をしましょう。

1、女性はどこでもスマホで自撮り

  自撮りした画像を気持ちよく修正するのが大好きです。かなりナルシストが多いことを感じます。

2、集団行動を好む

 会社が終わってから、いつでも何人かの集団で遊びに行きます。その先はレストラン、カラオケ、ショッピング、デートのときのも友達を呼ぶようです。

3、割り込みはまだまだ続く

 以前より解消されましたが、レジの順番を守らない人もまだまだたくさんいるようです。割り込みはいけないものであるとの教育がされていないようです。そしてそのことにあまり悪気はないです。

4、家族の絆が強い

 遠くに離れていても親に仕送りをします。その代わり、子どもが日本に行きたいといえば借金をしても何とか送ってやろうとします。

5、レディーファースト

 買い物のときに荷物を持つのは男性の役割です。タクシーやレストランでは、レディーファーストのたしなみを持っています。

6、割り勘はなし

 デートのときは必ず男性は支払います。仕事関係の人と飲むときは、有力なほうが支払います。

7、常に起業を考える

 男性も女性も終身雇用には関心がありません。経済成長が始まっているベトナムでは一攫千金を狙う人も多くいます。

8、人一倍見栄を張る

 自分の給料では買えないアイフォンやバイクをみんな持とうとします。採用面接のときも能力を過大に表現する人も多いです。

9、自分の故郷を愛する

 日本人も同様ですが、ベトナム人は自分の故郷に深い愛着を持っています。

故郷の質問をすると色々話してくれます。自己愛だけでなく故郷愛も強いです。

10、女性が積極的に社会進出

 ベトナムでは一家の大黒柱は女性です。企業の社長も半数近くが女性です。日本とは大きな違いです。

 私がセミナーをするときに時々使う資料があります。それは米国人、ベトナム人、日本人の特徴を示した窪田光純氏の「ベトナム・ビジネス」という書籍にある表を使わせていただくことがあります。比較をするとアメリカ人の性格は、ベトナム人の方が近く、日本人の方が遠いことが分かります。時代とともに多少変わり始めているとは思いますが、米国人は個人主義、ベトナム人は家族と知人を重視、日本人は会社や自分が所属する集団を重視です。米国人は自己主張型、ベトナム人は自尊心が強く結構見栄っ張り、日本人は謙虚で、協調性を重視する特徴があります。それは環境の中で作り上げられた個性ではないかと思います。

 このような違いは国の成り立ちにも影響されているのでしょう。米国はそもそも移民の国です。先住民のネイティブアメリカンは少数派です。ベトナムはあるときには中国に支配されたり、ヒンズー勢力に支配されたり、アンコールワットのクメールに支配されていたこともありました。日本も始めは各地から渡ってきた移民によって築かれた国なのですが、外国からほとんど干渉されない特異な国になりました。ヨーロッパから見ると極東、アジアからみても海に隔てられた訪問が難しい国でした。そのようなことも要因で、国の成り立ちや環境の違いで人々の性格が形成されていったことは間違いないでしょう。この点で言えば、それぞれ個性があることがいいことであって、米国人、ベトナム人、日本人がそれぞれ尊重されるべきことだと思います。

 以前、私なりに違和感を感じた話題がありました。それは、「子どもを作らない『LGBT』のカップルには生産性がないので、税金を使って支援をする必要がない」という水田水脈議員の投稿記事とその後の新潮45の支援記事です。LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとった言葉です。一般的ではない性的嗜好者を表した言葉です。このような嗜好者は、子どもを作らないから、少子化が進む日本にとって、生産性がない存在という意味で言っているものと思います。私は直接読んでいないので、相手に対する批判ではなく自分なりの考えを伝えます。

 少子化が日本にとって問題であることは分かります。どうしたら子どもを増やして、少子化が解消できる社会になるかは政治の問題でもあります。少子化はLGBTのせいではないのです。しかし、その論調には、個人の尊厳に関する理解がされてないように感じます。特殊な性的嗜好者が増えることに賛成をするわけではありませんが、さまざまな個性を持った存在が、自分のアイデンティティを真剣に模索する中で獲得した個性について、「生産性がない」とはあまりにも画一的な見方です。得か損かではなく、自分らしく生きるために判断した生き方です。肌の色もそうですが、人にはそれぞれの遺伝子の違いや感情の違いがあります。「普通でないものはおかしい、普通であることが正しい」と考えること自体が独りよがりなのではないかと思います。「生産性がない」との発言には、一般人と違った人を切り捨てても、大多数は被害がないので支持されるという計算が働いているように感じます。自分と違った人たちを否定する考え方には、強く違和感を感じるのは私だけではないと思います。また、大衆が満足できないときには、特定の少数者に敵対する空気が、大衆の不満の捌け口になることがあります。今回はそのような方向に行かない世論の賢明さに、ほっとした気持ちを懐きます。

 ところで私は「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」という本を読んだことがあります。今回、小林さんからテーマをいただいたので、たまたまベトナムに持ってきていたので、もう一度簡単に読み直してみました。1984年に出版された本ですが、かなり読まれている本だと思います。この本では、大東亜戦争と表現している日本が敗北した戦争の失敗の原因を組織論として分析をしています。その戦争のノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦から失敗の原因を分析しています。

 なかなか読み応えがある本ですが、「日本人が空気に左右されること」をなぜかと問題にしています。「日本軍の戦略策定が状況変化に適応できなかったのは、組織の中に論理的な議論が出来る制度と風土がなかった」と書かれています。また、組織構成自体が「人的ネットワーク偏重の組織構造」であったことが、論理的な議論が出来ない要因であったことを触れています。年功縦列や学閥、門閥が幅を利かせる社会がゆえに、経験主義に陥り、学習することができない組織になったことが述べられています。狭い人間の間柄によって守られた社会は、その社会に適応することができたものの、「適応は適応能力を締め出す」と表現されています。私なりに言い換えれば、そこでしか通用しない調和は、変化しない固定した組織の管理者にはやりやすいが、違う環境になった瞬間、通用しない状態になっていることを表していると思います。適応力のある組織は環境を利用して組織内を変異や緊張間を持たせるけれど、適応状態にあった軍隊は変化しない組織の死ともいえる状態だったと結論付けています。

 日本軍の組織構成上の特性は「日本型集団主義」でした。その集団主義とは、組織の目標と目標達成を選択するのではなく、組織メンバー間の「間柄」に対する配慮を重視した集団主義でした。組織を守ることを前提とし、変化のない関係性を重視する考えでした。その関係性を壊す分子を徹底的に排除することが、この集団主義では正義になります。それが組織の柔軟性と対外的な視線を奪っていくことになります。

 組織には変化していくことが必要です。そうしないと組織が老化して、やがて死ぬことになります。組織にとって進化する環境を作ることは必要です。この本では、「進化とは創造的破壊を伴う『自己超越』」と言っていますが、軍が求めたのは、「自己超越は合理性を超えた精神主義に求められ、はじめからできないことがわかっているもので、創造的破壊(変化)できるものではありませんでした」と書かれています。「およそイノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところから始まるが、軍はそれを徹底的に排除した組織だった」としています。外からの血を入れない組織の結末は滅びるのみかもしれません。

 これらの失敗の要因は、最近あちこちで発生しているパワハラ問題の原因とも同一の要素があるように思います。同じ人が長く支配している組織であること、関係性が深い少人数の間柄によって規律が守られることで組織が維持されていること、それらがパワハラ組織に共通しています。その体質が変化を拒み続けるのです。『失敗の本質』にはこれ以外にも多くの失敗の要因が書かれていますが、読解力、記憶力の限界があり、この程度でお茶を濁しておきます。最後に皆さんにも関係するだろう会社組織に関する以下の考察が、文庫本のカバーに書かれています。破綻する組織の特徴を簡単にいくつかの具体例で示しています。

 ・トップからの指示があいまい

 ・大きな声は論理に勝る

 ・データの解析がおそろしくご都合主義

 ・「新しいか」よりも「前例があるか」が重要

 ・大きなプロジェクトほど責任者がいなくなる

 最後にこの本は次のように締めくくっています。「米国のトップ・マネジメントに比較すれば、日本のトップ・マネジメントの年齢は異常に高い。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造を固定化し、学習棄却が出来にくい組織になりつつあるのではないだろうか。日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである。」

以上