2018.09.12

 

 日本は台風、地震など本当に災害の多い国だと思う9月でした。台風で被害を受けた大阪では関西国際空港が使えなくなった影響で、ベトナムに渡航する人たちの悲鳴がFacebookで行きかっていました。今や関空からベトナムへの便はほぼ満席と言う盛況でしたので、困っている人がたくさんいると思います。それからまもなく、今後は北海道で震度7の地震が発生しました。あちこちで土砂崩れによって山肌が現れているのは驚きでした。古代から延々とこの自然災害とともに生きてきたのが日本人だったのでしょう。そこから培われた忍耐力や建造物の建築方法は、世界に誇れるものともいえると思います。厳しい自然から得られる人格や精神性は、世界的に見ても自慢できるものだと思います。

 ところでベトナムの中部、北部は時々台風は上陸して被害があります。南部は私の知りうる限り、被害があったのは1回くらいだったような気がします。その被害と言うのもゴルフ練習場のネットが倒れて3ヶ月くらい営業を停止していたことがあるくらいです。地震に関してはほぼ皆無と言っていいほどです。11年いて2回だけベトナム人が地震と言っていたことがあります。しかし、私は何も感じませんでした。車が通って若干振動した程度の感覚しかありませんでした。ところが次の日の新聞では、高層ビルのオフィス労働者が屋外に出て避難したことがニュースになっていました。私から見ると笑えるような話です。

 地震のない国の高度成長が始まるとこうなるのだという例が最近増えています。ホーチミン市ビンタイン区では、このほど国内最高層ビル「ランドマーク81」が開業しました。この建物はベトナム国内最高層で、世界でもトップ16に入る高さ396.9メートルの建造物です。396.9メートルの部分は人が立ち入る部分で、その上に長く突き出た部分があります。最長部は461.2メートルもの高さになります。これは地上81階の建物です。日本のカレー専門店の「CoCo壱番屋」などの店舗も出店しました。投資主はベトナム不動産開発最大手のビングループが手がけました。これまではハノイ市カウザイ区の「京南ハノイ・ランドマークタワー」が高さ336メートルでした。高層建築の建設計画は他にもあります。ホーチミン市2区では、トゥーティエム新都市に「エンパイア88タワー」が建設中です。続々と高層ビルの建築が計画されており、ベトナムの経済成長のシンボルになろうとしています。

三位以下のベトナムの高層建築物を紹介しておきましょう。

3位:ロッテセンター(2014年完成 267m ハノイ市バーディン区)

4位:ビテスコ・フィナンシャルタワー(2010年完成 262.5m ホーチミン市1区)

5位:京南ハノイ・レジデンシャルタワー(2012年完成 212m ハノイ市カウザイ区)

6位:ベトコムバンク・タワー(2015年完成 206m ホーチミン市1区)

7位:サイゴン・ワン・タワー(建設停止中 195.3m ホーチミン市1区)

8位:ディスカバリー・コンプレックスA2018年完成 195m ハノイ市カウザイ区)

9位:サイゴンセンター2(2017年完成 194m ホーチミン市1区)

10位:ユーシルク・ランドマーク1052018年完成 190m ハノイ市ハドン区) 

 ハノイとホーチミンがそれぞれ5棟ずつあります。高さを競争しながら進んでいるようです。近年、特に2018年に高層ビルの建設が急増しています。また、ベトナムのデベロッパーは今後はわが社が一番高いビルを作ろうと競争になっているような雰囲気です。地震がない国は高いことが良いことだと疑いの気持ちがありません。

 ところで自然災害は確かに少ないのですが、人災は多少あります。20183月末にホーチミン市8区のカリーナプラザで発生した高層コンドミニアム火災により、13人が死亡するという火災事故が発生しました。この事故で同マンション管理会社社長が、消防規定違反容疑で逮捕されました。それ以外でも有名なビルでボヤ程度の火災が発生したニュースも出てくるなど、火災には関心が高まりつつあります。

 このような事故の影響は、じわじわとベトナムベトナムの不動産マーケットに現れています。特にコンドミニアムの安全対策が施されているかが、購入する上で重要視されるようになりました。やはり災害によって初めて、危険があることを感じるようです。ただ、ベトナム人には自然災害に関するリスクはほとんど感じていません。うらやましい面はもちろんありますが、日本人が培ってきた精神性や建造物を建設する技術力は圧倒的に日本が優れていると思います。

 ところで日本の高層ビルはどうかと言うと建築基準法などの影響かもしれませんが、それほどでもありません。

第一位 あべのハルカス(大阪市阿倍野区 300m 60階 2014年完成)

第二位 横浜ランドマークタワー(横浜市西区 296m 70階 1993年完成)

第三位 リんくうゲートタワービル(大阪府泉佐野市 256m 56階 1996年完成)

あべのハルカスは2年半前にシャープ・ビジネス・ソリューションズから依頼されて研修を行った記憶があります。では世界はどうかと言うとオイルマネーの力は強いですね。

第一位 ブルジュハリファ・ドバイ(UAE・ドバイ 828m 163階 2010年完成)

第二位 上海タワー(中国・上海 632m 128階 2014年完成)

第三位 メッカ・ロイヤル・クロック・タワー&ホテル(サウジアラビア・メッカ 601m 120階 2012年完成)

 地震大国日本がこんな高層ビル建設競争に加わる必要はないですね。ただ、新興国が国の威信をかけて作っていることがよく分かります。お金があるところにはあるのですね。

 ところで今回は、台風、地震からベトナムの高層ビルの話になってしまいましたが、台風と言えば私が連想することがあります。そればベトナムにも関係することです。話ははるか昔のことになりますが、蒙古襲来(元寇)のことを伝えましょう。日本の元寇は1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2回です。特に弘安の役の時には「神風」が吹いて蒙古(元)が退散あるいは沈没したと言われています。

 元寇の始まりは、1266年にその当時の有名な皇帝「フビライ・ハーン」から日本に国書が送られてきたことでした。歴史上有名な国書です。「天に守られている大蒙古国の皇帝から、日本国王にこの手紙を送る」から始まる手紙には、「高麗(朝鮮)が蒙古に降伏し家来の国になったが、私と王(高麗王)とは父子の関係のようになり、喜ばしいことになった。(中略) これから日本と大蒙古国とは、仲良くして行こうではない。我々は国を一つの家と考えている。日本も我々を父と思うことである。それが分からなければ軍を送ることになるが、それは望むところではない。日本国王はよく考えて欲しい」との国書を送りました。日本側の最高責任者は、第八代執権の北条時宗で、その特は18歳だったと言います。彼は返事を出さないと言う選択をしました。その態度を見て1274年に下見のような文永の役がありました。その役の後に、使者を送って説得しようと試みましたが、北条時宗は使者を処刑してしまい、二回目の弘安の役があったのです。この戦いの最中に台風があり、蒙古軍は撤退しました。日本人はこの神風が日本を救ったと考えていますが、必ずしもそれだけではありません。

 一方その当時ベトナムでも同様のことがありました。蒙古軍のもう一つのターゲットはベトナムでした。1258年に第一回目の元寇がありました。ベトナムはこれには屈しませんでした。蒙古軍はその後は日本をターゲットに変更しますが、日本を攻め落とせなかったため、弘安の役の2年後、1283年に二回目の攻撃をします。それでもベトナムは降伏しなかったため、1287年白藤江(バックダンザン)の戦いと言われる三回目の元寇がありました。その時の将軍として活躍したのが、チャン・フン・ダオです。ベトナムでは銅像があちこちにあるほどの有名な人物です。蒙古軍はこの戦いでも徐々に戦況が不利になりました。そのため海路脱出を図ろうとして、白藤江(バックダンザン)を下り始めました。

 ところがチャンフンダオは、干潮時に事前にリム(鉄木)の木の杭を川底に打ちつけ、草をかけて分からないようにしていました。満潮時に攻撃しやすいところまでおびき寄せて、撤退するときにこの杭にかかってしまいました。敵船が動けなくなったところで、チャンフンダオ軍は小型船で攻めまくったようです。蛇足ですが、その戦いでともに戦ったファングーラオと言う将軍もいるのですが、有力者はベトナムのあちこちで地名として生きています。地名から歴史を紐解くことが出来るくらいです。ファングーラオというとホーチミン市では外国人バックパッカーの街として有名です。その隣の大通りがチャンフンダオ通りです。

 その戦いで蒙古軍は敗退し、ベトナム征服は失敗しました。その結果、それ以降は日本への元寇もベトナムへの元寇もありませんでした。元はフビライ・ハーンという偉大な指導者が1294年亡くなり、その後元は帝位継承問題などが発生しました。チベット仏教が過剰に保護されたり、インフレが発生したりを繰り返しました。人民は新興宗教に走り、白蓮教徒の乱が発生し、明が建国されることになります。おごれるものは久しからずですね。

 日本でもこの元寇に貢献をした御家人たちに恩賞を与えられなかった鎌倉幕府は急速に衰えていくことになりました。その当時の武士たちは、恩賞を得るために命を懸けて戦ったのですが、恩賞を与えることができない政権は、もはやついてくる人がいなくなっていました。蒙古軍が攻めてくる当時日本は、「金が出る国」と言われる国でした。ちなみに「日本」と言う文字を中国の福建省では「ジップン」と発音するようです。その音を聞いたマルコポーロが、イタリアへ戻って書いた「東方見聞録」で、ジパングと表現をしたようです。今海外でJapanといわれるさきがけとなりました。日本はあこがれる土地でした。

 元寇という歴史的エピソードから、その当時の歴史を触れました。元寇という災難に遭遇した日本とベトナムですが、両国に共通にある反中意識について触れておきましょう。反中意識が特に強いのがベトナムです。2014年には中国の南沙諸島の実効支配に反対してデモが発生しました。中国企業と勝手に判断された工場が焼き討ちされた例もありました。また、今年は外国企業に100年の土地使用権を認めようとしている法改正案に対して、中国企業に使用権を認めるなとのデモがありました。

 歴史上、中国に対する警戒の意識は、ベトナムのほうが強いですが、日本にも通じるところがあるかもしれません。内閣府が調査している日本の外交世論調査では中国に親しみを感じないという日本人が80%を超えていると書かれています。尖閣諸島などの領土紛争、中国共産党の支配、中国人の自分勝手な行動など、日本人のデリカシーは中国人の行動を理解できないことはあるようです。ただ、世界は大きく変化しています。高層ビルが新興国でも作られるように、電気製品は中国や韓国のメーカーが席巻するようになってきました。世界で無視ができない存在になっています。ベトナム人の心中には中国への警戒感があるのですが、表面上は等距離に接しています。その点はベトナム人の賢さを感じます。

 日本は今まで、自国の中で物事を考えていればいい国でした。ところが人口が減ること、また第二位の経済大国からすべり落ちている今では、国内だけで考えているとジリ貧になる可能性があります。国際社会の中でどのような役回りを持つことが出来るかが大切だと思います。それば高齢化社会の知恵、自然災害を乗り越える知恵は世界共通に必要なことです。高齢化社会は経済が高度化する場合の宿命です。都市化が進むと少子化は避けられません。自然災害のない国は見た目の高さや立派さを競いますが、長く安心して使えるかは別問題です。見栄をはらない、相手を尊重する、心豊かな考え方を作る役割を日本が持っているように思います。隣国の悪いところをことさら取り上げて、非難することは得策ではないと思います。

 その点で特筆したいことがありました。日本人はどう生きるかのヒントと私が感じた出来事です。日本人の血という言い方がいいのかは分かりませんが、その風土の中で培われた謙譲の精神が、先日全米オープンテニスで優勝した大坂なおみ選手の優勝インタビューに現れていました。彼女は日本にいる期間が短いのですが、日本人的な美意識を感じさせる話の内容でした。優勝インタビューの簡単な日本語訳を伝えておきましょう。

「みんな彼女(セリーナ・ウィリアムス)のことを応援していたのを知っています。こんな終わり方をしてすみません。ただ、試合を見てくださってありがとう。

(中略)

セリーナと全米の決勝でプレーすることは夢だったので、叶って嬉しかったです。プレーしてくれてありがとう。」

 会場にいた観客や相手選手の気持ちに配慮したすばらしいスピーチでした。このようなスピーチがなぜできるのかを私なりに思いをめぐらせてみました。アメリカはトランプ現象にも見られるように、人種差別が蔓延している社会です。アフリカ系やアジア系に対する偏見が渦巻いています。アフリカ系ハイチ人と日本人の間に生まれた大坂選手は、いくつかのいやな思いを乗り越えてきたのでしょう。その経験からにじみ出た今回のスピーチであったことを感じました。つらい経験が人を謙虚にします。

 今回、高層建築の話をしましたが、いくら高く目立つ建物よりも、地震大国日本のビルの方に信頼を持ちます。また、元寇においては「神風」で勝った日本よりは、長年中国との戦いを続けていたベトナムの戦略が優れていることを感じました。それがベトナム戦争でアメリカに負けなかったベトナムにつながっているように思います。厳しい環境が人を育てることを感じます。

 大坂選手については、厳しい環境、社会と対峙した人間だからこそ気がつく、相手を尊重する姿勢こそ日本人が歴史上培ってきた大切なものであることを感じました。新渡戸稲造の「武士道」や岡倉天心の「茶の本」にも通ずる日本の美学を感じました。逆説的ですが、日本人的心は半分が日本人の血が流れている彼女から感じました。日本人が好む日本的とは日本人だから備わっているとは限らないと思いました。そんな姿勢を持った人を作る教育の影響力が、日本を救うような気持ちを懐きました。

以上