2016年申年の旧正月(ベトナムではテト休暇)は、1年に一回唯一気軽に日本に帰ることができる期間です。11月の時点で2月にセミナーの予定を決めなければならなかったので、その予定を決めて、航空券を予約しました。ところがすでに2月5日金の便と、2月6日土の便が取れないとのことでした。仕方がないので2月4日の便で日本に来ました。ただこの時期に日本に戻っても通常は仕事の延長以外にやることもないので、仕事をするために日本に戻っているような形です。

 

ベトナムのテトは、多くのベトナム人にとっては田舎の家族のもとに帰って、

家族とともに祖先を迎えて、家族の幸せを祝うための一大イベントです。ベトナム人にとってはもっとも楽しみにしている行事です。テトは旧暦(太陰暦)の大晦日、正月三ヶ日が該当しますので、太陽暦では毎年,太陽暦上の日付が異なります。今年は2月の8,9,10,11日あたりがそれに該当しましたので、土日を含めてその前後の日を休暇にして9日間お休みにしました。このような休みの取り方は、ベトナム政府のほうからも言ってきます。政府機関と銀行がこのように休むので、民間機関も可能なところは休むようにという指導がなされます。強制力はありませんが、弊社はそのようにしました。カレンダーの運用もその場で対応することがあることは日本ではありえませんね。

 

テトとは漢字で書くと節という字になります。テトはベトナム人にとっては、重要な家族親族と水入らずで過ごす大切なときなのですが、歴史上重要なテトがありました。それはベトナム戦争で転機となった年です。1968年のテト攻勢です。その年の1月30日のベトナム人民軍(北ベトナム)と南ベトナム解放民族戦線による南ベトナム政府およびアメリカ軍に対する大攻撃のことを言います。このテト攻勢で、南ベトナムのサイゴン(今のホーチミン市)、フエ、ダナンで激戦がありました。多くの人が亡くなりました。特に決死覚悟で攻勢をかけた南ベトナム解放民族戦線の死傷者が圧倒的だったと聞きます。それ以降アメリカ軍の敗色が濃厚になる転機となる戦いでした。ベトナム人にとってテトは大事な休暇にもかかわらず、テト攻勢という捨て身の裏技をとることで、一気に形成が逆転したようです。ベトナムのテトの重要性を知るにつけ、そのころのベトナム人の決意を感じる出来事でもあります。

 

ただ、南ベトナム解放民族戦線とは民族の独立を目指す勢力であり、必ずしも共産主義の勢力というわけではなかったのですが、このテト攻勢で多くの犠牲者を出し、以降は北のベトナム人民軍が主導権を握ったとの説もあります。若い国ベトナムは、そんな歴史的事実を知る人も少なくなってきました。都会に出てきている多くの若者にとっては、親兄弟にたくさんの買い物をして、故郷に錦を飾る大切な時期になっています。ベトナムの消費者物価指数(CPI)は、いつもこのテト前が必ずあがります。それでも親にお土産を買っていこうとみんなが買い物をします。日本にも田舎に里帰りする人がたくさんいた時期があったと思いますが、最近は家族旅行をするなどに変化しているかもしれません。だんだん変わってきました。おそらくベトナムでも都市生活者が増えてくるとだんだんそのような傾向にも変化が生じるような気がします。

 

そんな変化を与えるような理由は、経済のグローバル化です。それはベトナムでも進行しています。弊社が作業先を仲介斡旋している事業があります。それは、日本のソフトウェアのオフショアでの開発、海外でのデータ処理の仕事などです。

CADの設計などの仕事もそうです。そのような人の労働を主なコストになる仕事は賃金の安いところでできるならば、どんどん移行し始めます。ベトナムの工場労働者の賃金が2万円程度、大卒のオフィス労働者も最初は3万円程度ですから、日本で作業するには付加価値の高い仕事以外は無理です。安く供給しなければならない仕事は、どんどん海外に流出することはやむをえないと思います。

 

テトの時期は日本を始め、欧米諸国でも休暇ではありません。中華圏の一体のみが休みです。そのため海外の事業は、そのときに休んでいられない事業がたくさんあります。データ処理のような事業は、その日に材料をデータで送って、翌日納品するような仕事です。出版物や広告など、時間のない中で納品しなければならない仕事が目白押しです。そのような仕事の場合は、長期の休暇をとっている余裕はありません。

 

弊社が日本企業から依頼を受けて、スイス系の企業やドイツ系の企業に発注しているのは、記念写真などの修正加工作業です。会社の名前はお伝えできませんが、日本全国に展開する大手の写真館の下請け会社のお仕事をお手伝いしています。繁忙期がテトにもあたるため、その時期に休む事業者には発注できません。そのため休暇をとらないという業者に発注をしました。その期間はベトナムでの作業者には通常の給与の3倍の金額を支払うことが、労働法で決まっています。労働者の中には、田舎に帰ることはあきらめて、3倍の賃金をもらうことを選択するものも現れています。労働者の考えの変化も多少はあわられ始めています。ただ、多くの人と違う状況はなかなか受け入れられない人たちもいます。とはいえ、グローバル経済の変化は、その地域の文化も変化をもたらすことがあります。

 

最近私がお会いした群馬県(確か富岡市のかた)から出てきている若い社長さんのことをお話します。形の上では群馬県で事業をしているのですが、作業場はベトナムのホーチミン市です。そこにローカル会社を設立し、ベトナム人を雇用して作業をしています。親の代から続いている家業の製造業(金型製造)ではもう先がないので、仕事を作れそうな分野に移行しようと考えました。その結果、日本で作業できる業務が見つからず、海外で事業をしようとやってきたとのことでした。お父さんとは意見の相違があったらしいのですが、これからの時代は、若い世代がしっかり考えて行動しなければならないと考え、ベトナムに来たということでした。その会社はベトナムで労働者を集めて、日本からの仕事を請けて、画像の加工の仕事を始めました。日本の仕事を営業努力して拾おうと営業活動をしていたところ、弊社が関わっている会社の業務を安い価格でやることを約束しました。一定のテストを経て、十分なクオリティが確保できることが確認できたために、業務をこの会社に移管をしようということになりました。日本の中小企業では、価格ダウンの要請が厳しく利益を上げられなくなっています。日本の製造業の厳しい現状を物語るエピソードでした。そのような動きが徐々に進行しています。

 

産業革命、言い換えていえば機械化が、大量生産と大量消費の仕組みを作りました。大量生産ができるようになると対応消費できる市場を見つけることが宿命になります。一方IT革命により、通信技術の進歩によりどの国で処理するのがもっとも安くできるのかの競争が激化しました。大量生産による価格の低下、

最適、最安の場所での作業が一般化したならば、デフレは避けることができないのではと思います。大量消費ができる市場を新しく作ることができた時代は、そのことが可能だったのですが、今は大量の消費地が見つからなくなりました。中国の発展がその大量消費地の候補だったのですが、そろそろ減速が始まっています。最適の地での製造、作業、低価格の競争はこれからも続くでしょう。では今後日本の可能性はどこにあるでしょうか?なかなかすっきりしない話です。

 

だからといって、私は日本がどんどん衰退して、ベトナムなどが急激に伸びていくことに関しては、必ずしもそのようにはならないと思っています。ここでは世界で起こっていることと、経済環境の変化について述べていきます。この2月に久しぶりに日本に帰国をしましたが、当初からの予定のセミナーを大阪、神戸で行ってきました。そこで感じたのは、日本の中小企業の経営者は、海外について非常に関心が高いということです。私のセミナーにもたくさんの方が参加をいただきました。中小企業経営者の層が厚い国、日本は進み方があるように思っています。そうでない国は価格競争だけに入っていくしかありません。

 

講演の内容を決めるのはなかなか難しいのですが、やはりベトナムで体験したエピソードは皆さんに関心を持っていただけるようでした。それは何かというと、成功する企業と失敗する企業の特徴です。私は簡単に申し上げると長くいる企業が成功企業であると思っています。失敗する企業は短期間しかいられなかった企業です。あまりに当たり前のことですが。その地域で長く通用できる思想を持った企業が生き残ると思うのです。短期間しかいられなかった企業にはそれぞれ異なった理由がありますが、多くの場合自分の利益を上げるために、利用できる人がいると考えた場合です。また、その地域に役に立つという発想がないと長い期間受け入れられません。

 

現実には異文化の場所で、いいと思うことを伝え、共感を得られるためには相当の苦労がつきものです。ベトナムで成功した企業としては、ベトナム人に認知された企業です。異文化でありながらいいものだと認められていった商品が選ばれています。ベトナム人には、HONDAというとバイクの総称を意味していた時代がありました。HONDA GIRLという言葉もありますが、これは隠語です。この場で言うのは控えたほうがいいかもしれませんが、立ちんぼの売春婦のことをこのように言います。なぜかというとバイクに座って、お客さんを待ちます。お客さんがいるとバイクに乗せてしかるべき場所に移動します。HONDAにしては迷惑かもしれませんが、認知の度合いが高まるとこのような言葉も生まれます。

 

また、ベトナム語しか離せないベトナム人と挨拶をするときには、ベトナム人はサービス精神があるので、知っている日本語を口に出します。そのときに多い言葉が次の言葉です。「ありがとう、あじのもと・・・」というベトナム人が多いのです。ありがとうの次に認められている日本語は味の素なのです。味の素が途上国に進出したときの基本は、Base of Pyramid という考えです。ピラミッドの底辺にいる低所得層(大勢の人がいる)にたいした商品提供を基本にする考え方です。下層の人が利用できる商品を広く普及して、その企業の存在価値を高める戦略です。そんな戦略を実現するためには、長い年月と試行錯誤があったのではと思います。

 

私の知る限り、世界の貿易は、宗教の伝播と一体になって進んできました。

シルクロードの西部はイスラムの伝播とともに物品がもたらされました。シルクロードの東は、イスラムを食い止め仏教の伝播が進みました。人間の社会では、モノの移動だけでなく、思想、考え方が受け入れられるかどうかが非常に重要な要素だと思います。日本に来たザビエルも鉄砲とキリスト教をもたらしました。このグローバル経済の変化の時代、安いものだけの移動が世界を支配することはないと思います。そこには生きていくための倫理観や考え方が受け入れられるかが重要になるように思います。

 

日本が生み出したものはたくさんあります。そんな発想力を日本人は持っていました。以外ですがママチャリは外国にはありません。荷台ががあっても荷物を運ぶことしか考えていません。洗浄器付便座なんかも日本にしかありません。海外ではそもそもお尻を洗うことは、ホモを連想して普及しませんでした。またアイスコーヒーも日本発だそうです。コーヒーとはそもそも香りを楽しむ飲み物であり、冷やして飲むなどはありえないと海外では考えられたようです。グローバルが必要としているのは、大量生産、大量消費の社会でもなく、より安さを目指す社会でもいないような気がします。安さだけを追い求めていけば、消耗戦,あるいは各国間の対立を生んでいくことになるでしょう。排除の考え方です。私が思うのは、経済の原則は日本の都合のよいようにはなりませんが、日本に優れたものがあるならば、日本の部品を送って、組み立ては安い国で行うなどは可能です。

 

ほかの地域のよいところを取り入れて、日本風にアレンジしていくこと、そんな柔軟性は本来日本にはあったように思います。現在、経済は意外な展開をしています。高度な製品であっても先進国だけで作られているわけではありません。簡単な組み立ては付加価値の安い作業ですから、あまり利益は取れません。その部分は安くてもいい国に任せることが必要になっています。現実に、ベトナムの輸出品目の中で最も多いのが各種電話機です。わかりずらいのですがスマートフォンです。ベトナムでは部品がそろうわけではありません。部品を先進国(韓国、台湾、日本など)から輸入して、組み立てをして世界に輸出しているだけです。

 

現象的には今後の社会はデフレ社会が続くように思いますが、今までにないそんな社会の中で、生きるための満足を得られる考え方や思想が求められているのではと思います。そろそろ発想の転換が必要な時代になったのではと感じる今日この頃です。

 

以上