私が2月の後半にベトナムに戻ってから次ぎのニュースを目にしました。「ベトナムの日本大使館、総領事館、国際交流基金とベトナム教育訓練省とは、ベトナムの初等・中等教育における日本語教育の導入について合意した。それによると、ベトナムの小学校で、3年生から第1外国語として日本語を教育する。」

具体的には、2016~2017年度ハノイ市内の3つの小学校で日本語学習クラスを試験的に導入する。各校2クラスずつ設置する予定で、この結果に基づいて、順次国内各地での導入に取り組んでいく計画だ。初等教育への日本語の導入は、東南アジアで初の試みとなる。ベトナムでは2003年から中学校で日本語教育が導入されている。小学校への日本語教育の導入により、更なる日本語学習者の増大が期待される。」との記事でした。この記事から、ベトナム政府は日本を最重要な国として期待していることが伝わってきます。海外にいるとそこの政府が、国の将来を見通して様々な戦略を取っています。ベトナム政府が今後最重要なパートナーとして日本を意識していることをこの記事が表しています。

日本はどうでしょうか?グローバル化とはかなり受け身の対応が多いようです。連日報道される海外のニュースはネガティブなニュースがたくさんあります。イスラム過激派のニュース、伝染病のニュース、戦争のニュース、北朝鮮のニュースなども、日本ほどいい国はないと思わせるには十分です。日本人は知らないうちに、海外は怖いところだとの偏見に固まってしまって、日本での生活以外には関心も持たない人がたくさんいます。確かに私も日本人ですので、世界の中でも日本はいい国だとご確認を持っています。ところが海外にいると日本がすべてよいとは思えないことがあります。

その第一は、海外の方が多様性と柔軟性があるということです。私の住んでいるベトナム・ホーチミン市は社会主義国ですが、東京よりも外国人占率が高いように思います。白人系、黒人系の人、インド系の人、アラビア系の人、イスラム教徒、ビンズー教徒などもたくさん見かけます。キリスト教会、イスラムのモスク、仏教寺院もたくさんあります。当然、中国系、韓国系、日本人も圧倒的にたくさんいるのですが、あらゆる民族にお会いします。日本では日本語以外中々通じないのですが、ベトナムでは英語、フランス語、ロシア語、中国語、韓国語、日本語もある一定の人には通じます。ベトナム人以外の外国人にとっても生活しやすいのではと思います。食材は豊富ですし、何よりも一年中暖かいのもいいかもしれません。何よりも日本式のやり方に固まっている日本よりは、柔軟性があるようにおもいます。それは社会主義でありながらです。そういう意味では、社会主義、資本主義という考え方はもう時代遅れなのかもしれません。ベトナムで事業をしていて、日本に帰った友人は、インターネットの回線敷設に40日以上かかると言うことで、日本は意外と不便だと感じたとのメールをくれました。

私はベトナムの魅力はそれだけではばいように感じています。ときどきお伝えするのですが、それは人々のマインド(気持ち)です。ベトナム人の若い人は、将来の自分たちが幸せになる、生活も豊かになると思っています。そのために一生懸命勉強することが希望をかなえることだと思っています。豊かな子達は、海外の学校に好んで留学します。それほど豊かでない子達も、学校以外に語学学校に通ったりします。もっと貧しい人たちは、技能実習生制度を利用して、3年間限定で日本などに労働をしに行きます。それは外国語を身につけて、収入を稼ぎ、自分たちの明るい将来を築くための糧にしています。

ベトナムでは貧しい人も何とか生きていけます。川で魚を取る、動物を取る、野性の植物や果物もたくさんあります。お金がないときは自分でそれらを取って食べれば飢えることはありません。日本に行った技能実習生が、公園のヤギを食べてしまった、とのニュースを読んだことがあります。ベトナムでは普通のことです。食べ物がないと鶏でも、豚での、水牛でも野生の動物でも自分で賭殺して食べてしまいます。純粋にそれが生きることだと思っています。他の所有者のものを食べるのは犯罪ではありますが。貧しくても生きていけることは、明るい気持ちにさせるものです。

さて、ここで経済の事を触れさせていただきますが、私が歴史の変化の予感する出来事があります。それは、日銀がとったマイナス金利という政策です。今マイナス金利を採用しているのは、EUの欧州中央銀行、スウェーデン、スイス、デンマークのヨーロッパ諸国です。意外とあるものです。どうしてこのような政策が採用されることになるのかを私なりの視点で考えました。今までの価値観や方法が通用しなくなっていると私は思っています。

まずはマイナス金利とは何なのでしょう?極端な考え方で説明します。実際は日銀と銀行の取引での話しなのですが、わかりやすくお話を進めるため極端な説明をします。マイナス金利ですから、預金をすると手数料が取られてしまうことになります。その逆に住宅ローンなどお金を借りる場合は、利息がもらえることがあるかもしれません。現実の世界ではちょっと考えづらい話になってきました。そのくらいしないと経済が一向に上向きにならないのです。預金をするのではなく、どんどんお金を使って欲しいとのメッセージです。そのメッセージは銀行の姿勢を変えることから始める政策です。お金を使い消費が拡大しないと経済は成長しません。消費が少ないと企業も生産を減らし、今の日本経済のようなデフレスパイラルに入ってしまいます。そのデフレを退治しないと負のスパイラルが連鎖することになります。そのため日銀は今まで想像もできない政策を打ち出しました。

その政策には金融機関が最も影響を受けることになるでしょう。金融機関には安定した国債による運用を取り上げて、民間が事業拡大できるよう融資をどんどん増やしなさいとのメッセージです。安定した運用をするのではなく、失敗するかもしれないがリスク資産で運用して欲しいとの要請です。

ところが、先進国はその金融政策の意図とは全く逆の状態です。それぞれの個人は、雇用も安定しないし、老後も心配で下手をすると下層老人になってしまう心配があります。だからなるべく貯金をしておきたいと思います。一方企業は、将来急に売り上げが伸びると思ってはいないため、いざと言うときの内部留保をするほうが安全で、設備投資や従業員の給与をあげるという選択はできません。その事を皆さんも実際感じていることと思います。

経済政策と人の気持ちが全く正反対になっています。だからこの経済政策の中では、金融機関はムリをしなければならなくなります。銀行は安全な運用を取り上げられたので、何とかしてお金を貸す先を探そうとしています。そのため比較的安全だと思われる融資や成長性のある分野に極端に融資を増やそうとします。例えば安全な地域での不動産への融資です。不動産は担保価値があるので、銀行としても比較的安全な融資先にみえます。それ以外では、日本企業の海外進出の融資です。金融機関も日本に留まっている企業は成長できないと思っています。そのため海外進出の機会に親会社に融資をするのです。現在地銀の海外駐在員が急増しています。ベトナムにもたくさんの駐在員がいますが、地元企業の海外進出を進め、融資の機会を作ろうとしているのです。

極端な考えは必然的にバブルを生みます。私はこの先には、金融危機の再現が起こるのではとの心配を感じています。不動産がバブルになるとその危険性は高まると思います。最近日本のニュースで金庫が売れていると伝えられましたが、何か歴史の変化を感じます。そもそもこの金融政策自体が、人間の自然な考えを、金利によって変えることはかなり無理があると思います。経済学では対処できなくなっている社会の変化が始まっている事を感じます。与信がない人でも、不動産購入ができる。高度な金融工学を駆使しているので問題がないと考えられていたのが、実際はそれが弾けてしまったサブプライム問題。それに端を発したリーマンショックもムリな手法の失敗だったような気がします。短期的な経済成長志向は、将来や未来を犠牲にするかもしれません。

将来が展望をもてないのに、金融政策によってお金を使うことを奨励する、あるいは銀行にお金を使わせるような企業や人を作るようノルマを与える、そんなやり方でうまくいくでしょうか?経済の問題をもう数字のロジックだけで語れなくなっているように思います。

高齢者が増えてきている日本では、高齢者をも有効に活用できるかが大切だと思います。高齢者が邪魔になってくると必然的に若者に負担をかけます。昨年日本に帰ったときに読んだ「里山資本主義」には、ヒントがある事を感じました。最近は「里海資本主義」という考え方もあるようです。「デフレの正体」を書いた作者とNHKのディレクターの共著です。日本経済は、マネー資本主義から決別して、里山資本主義という安心の原理で動く社会に使用との意見です。重病人に生命維持装置をつける経済ではなく、伝統や自然と共生する経済です。どこで、どのようにその土地で暮らす人たちが、そこにあるものを使って生活をする、そして将来もこれが守られるようにする。マネー資本主義が生きるため重要なのがお金だと考えるなら、水や食べ物が最も大事と考える社会です。お金がなければ物々交換でも良い、地域の人とのかかわりを前提とした社会です。私はそちらのほうに現在の問題の解決の糸口があるような気がします。何よりもその発想の方が、老後の寂しさを癒してくれそうですし、若い人だけでなく高齢者にも夢が持てそうです。お金がなければ無縁社会になってしまうマネー中心社会とは違う方向です。

残念ながら私の場合は、里山資本主義とは反対の方法で、里を離れて活をしていますが、これから一番大事なのは自分の住む地域で密着し、文化や伝統を作っていくことではないかと思います。その点では桐生に住んでいる方、小林さんはうらやましく思います。本当は日本でそのような生き方ができるのが一番幸せなのではないでしょうか?今の私にはそれは適いませんが、別の道を考えます。

私の場合、唯一の救いは経験をしたことが多少活かせる仕事ができるようになった事です。私はベトナムで新規事業を作りながら、ベトナム人と一緒に日本企業へのサービスを提供しています。その仕事は、実は生命保険会社で日本のいろいろな地方の営業所長などをしていた経験が生きてきます。今はベトナム人と関わっていますが、以前の経験があったからこそできた気がします。地方の日本人は多少なまりがある程度ですが言葉は通じます。外国人は違った言葉を話しますが、コミュニケーション、言い換えればそれでも言葉が通じます。違った言葉を話す外国人が日本語を勉強してくれることに感謝しながらやっています。その点では、高齢になっていく私も、今までの経験を活用できる場があることが幸せだと感じているところです。

高齢化社会は、費用がかかる社会です。ただそれを介護だけで捉えるのではなく、老人をどう活用するかと言う視点を持つことだと思います。例えば仲間と一緒に農業に携わり生産活動をする。そのことがマネーだけでない幸せを感じるのではないかと思います。あるいは、今までの自分の経験を活かせる事を、若い人や外国人はまだ経験が足りません。夢を持つのはいいのですが、かなり甘い夢が多いです。それらの経験を伝えること、教えることは今後の社会の財産になります。高齢者たちも生きる意味を感じることになるでしょう。特に物を作ることは価値があります。経験の蓄積が要るものの製造は伝承を生みます。

今銀行が使わなければならない資金を、長期的な生活の変化に使えたら社会を変えられるかもしれないと思っています。そんな文化、思想、伝統を作ることに使われたら価値があるとおもうのは甘すぎるかもしれませんが、夢のあることでは有ります。今まで利益の上がるところに金を使うという発想では社会が成り立っていました。これからは人が幸せを感じる社会にするためにお金を使えたらとおもいます。今の社会は、利益を上げることがパイの奪い合いの社会になりました。それよりは勝者と敗者をはっきりさせる事です。今の勝者と敗者を作る社会ではなく伝承できる社会をどう作るかが課題のように思います。

マネー資本主義とは、実は豊かな国が貧しい国の利益を奪っていた社会でした。それが最近はできなくなってきました。植民地、発展途上国が少なくなってきているからです。最近は。先進国でも豊かな人と貧しい人の二極化が顕著になってきました。資本の蓄積が求められる資本主義社会では、どこかで利益を上げないと成り立たないのです。利益を上げないと株式市場が成り立ちません。投下した資本から利潤を上げる仕組みです。利潤を上げることができなければ、投資者も損をします。そのうちだけも投資する人が減ってきます。投資はどんどん投機マネーになってきました。先進国の企業も以前のように海外からの利益を上げられなくなってきました。そう考えると今までの考えが限界に近づいているとも思えます。

ベトナムの若い人たちは、必ず自分たちは将来幸せになると思っています。ただ私は心の中ではそう思っていません。極端に言うと今が貧しいから、夢を見ることができるのです。しかし、現実は核家族化し、マネー経済になることで、日本が辿ってきた道を歩むことになると思います。ところが後発の国ほど繁栄の期間は短いと思います。すべての人に経済力がつくことはありません。その点で今の日本は逆説的ですが、幸せを感じない人が多い分だけ、新しく変われるチャンスがあるのではないでしょうか。日本の高齢化社会は、発想の転換のチャンスです。高齢者は冥土の土産にマネーを持っていけません。高齢者ほど幸せが何かを知っていると思います。マネーよりも大切なものは、人との交流、自然との共生が本当は幸せな事を高齢者は知っているような気がします。古来の日本人はそれが得意な民族でした。そして自分が消えた後でも、あなたのおじいさん、おばあさんは立派な人だったと言われたなら、子孫たちの財産になります。高齢者もちいさな夢を持てるといいですね。

以上